詩の賞の候補著書推薦依頼状が届きはじめた。なやましい季節。(哲




2013ソスN1ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0612013

 汝の年酒一升一升又一升

                           阿波野青畝

賀の客をもてなす座卓には、一升瓶が何本も立っています。燗をつけるなんぞは、まどろっこしい。茶碗酒、コップ酒の作者の若いお弟子さんたちが、うわばみのごとく、とぐろを巻いて年始めの無礼講に興じているところでしょうか。作者は、この座をこの一句で切り返そうとしているように読みますが、はたして酔客に真意が届いたかどうか。掲句は、李白の詩「山中ニテ幽人ト対酌ス」の一節、「 両人対酌スレバ山花開ク、一杯一杯復一杯」をふまえているでしょう。しかし、掲句の酔客たちは、一杯ではなく一升ときていますから、酒豪の大先輩李白の一節に思いを寄せる風もなかったでしょう。詩は、「我酔ウテ眠ラント欲ス、キミシバラク去レ」と続きますが、とぐろを巻いた大蛇たちが退散する様子は見られません。「一升一升又一升」は、エンドレスに続きます。句の師匠が、句の力でお弟子たちを動かそうとしていながら、それができないところに初笑いがあります。私事ですが、巳年の抱負は、とぐろを巻かない、くだを巻かない、とします。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(小笠原高志)


January 0512013

 初旅やいのちの峠越えて海

                           村上 護

、海だ。思わずうれしそうにそうつぶやいてしまうのはなぜだろう。トンネルをいくつか越えたと思っていたらぱっと車窓に広がる海。長い道を歩いていて急に目の前に開ける海。海を目指していてもいなくても、海だ、とつぶやいた後ただただ海を見ている、という経験は今までに幾度となくある。ヒトが海に惹かれるのは回帰の本能からだとも言うが、何かあると、また何もなくても、海が見たいなあ、と急に思うことも確かにある。掲出句の作者も、病と共に過ごした年があらたまり旅に出られるまでになった時ふと、海が見たい、と思ったのだろうか。初旅の華やぎが一句に明るさを、海、の一語が深い余韻を与えて印象的である。『其中つれづれ』(2012)所収。(今井肖子)


January 0412013

 段雲を冬月登る坂登る

                           沢木欣一

雲の段に「きだ」とルビ。きだぐもとは切れ切れの雲のこと。句には前書きがある。「達谷山房を辞すこと遅く」。このとき作者24歳。東京帝大国文科在学中である。当時楸邨の家は世田谷下代田の崖下にあった。同時期の楸邨作品に「澤木欣一に」と前書きを置いて「青蚊帳に茂吉論などもう寝ねよ」がある。楸邨居に押しかけ深夜まで論議を交わし蚊帳に入ってもまだ話やめない青春の瞬間が刻まれている。この句、泊らずに帰ることになって昂ぶった気持のまま崖下の家を辞して深夜の坂を登っている。前年四月に楸邨は波郷とともに「馬酔木」を脱会。八月には欣一と金沢、市振を経て佐渡に旅をし、この年十一月には欣一の応召を送って大洗まで同行する。「寒雷」初期のつわものたち、金子兜太、安東次男、古澤太穂、森澄雄、田川飛旅子、原子公平らは皆口を揃えて、自分は楸邨に特別に可愛がられたわけではないと言い張る。ここが面白いところで誰も自分が特別扱いとされたとは思っていないのだ。その中で欣一だけは別格だったような気がする。欣一は金沢の旧制第四高等学校出身。金沢で中学を出た楸邨が父病臥のため四高進学を断念した経緯があり、そのこともあってというのが通説だが、「茂吉論」など文学的興味が相通ずるところがあったのだろう。坂の途中の段雲、そこを登る冬の月。こういう瞬間を刻印できることが俳句の最たる特性。この段雲もこの坂もこの月もそこを登ってゆく一人の青年も永遠にそこに在りつづける。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)




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