元日は、朝風呂に入ってビールを飲んで変な映画を観て終わった。(哲




2013ソスN1ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0212013

 沖かけて波一つなき二日かな

                           久保田万太郎

年もどうぞよろしくお願い致します。さて、正月二日は初荷であり、書初め、掃初めなど、元日と打って変わって、世のなかが息を吹き返して活気づき、日常の生活が戻ってくるという日である。本来は、やわらかく炊いた「姫飯(ひめいい)」を初めて食べる日ともされていた。『日本歳時記』には「温飯を食し温酒を飲むべし」とある。また、知られているように「姫始(ひめはじめ)」とも言われる。もう何年も前から、元日から営業するデパートや商店もあって、元日から福袋が飛ぶように売れているようである。初荷もへったくれもなくなってしまった。越後育ちの私などが子どもの頃は、雪のなかで三が日の毎朝は判で押したように、雑煮餅を自分の年齢の数ほども食べさせられた。おせちどころかご馳走は餅だけだった。そして昼食は抜きで早夕飯は自家製の手打蕎麦という特別な日だった。掲句は、まだ二日の海だから漁船の影もなく穏やかに凪いで、波一つないというのんびりした景色であろう。海のみならず、せめて三が日くらいは地上も何事もなく穏やかであってほしいものだが……。“芸ノー人”どもが寄ってたかって、馬鹿騒ぎをくり返している正月のテレビなど観ているよりは、時間つぶしに街へ三流ドンパチ映画でも観に行くか。万太郎の句には「かまくらの不二つまらなき二日かな」もある。平井照敏編『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 0112013

 火を焚けば太古のこころ初日待つ

                           波多江たみ江

っと昔、毎日という日々は、現在のように穏やかに流れていくものではなかった。狩猟し、あるいは逃げまどい、命のつながった時間を積み重ねて歳月となった。火を手に入れ、家族を抱え、飢えとたたかい生きていく。太古とは非情な時代である。そんな生への執念は、現在蔓延している無情感と正反対に位置するものだ。今日生きのびることが全て。あらゆる野生動物と同じように、人間も命がけで生きていた。一年が終わり、一年を始めることができる幸せを、あらためて感じる元日である。『内角の和』(2004)所収。(土肥あき子)


December 31122012

 大晦日御免とばかり早寝せる

                           石塚友二

十一歳の秋に、ラジオのパーソナリティを仰せつかった。早朝番組だったので、以来三十有余年、早寝早起きの生活がつづいている。大晦日とて、例外ではない。この間、除夜の鐘も聞いたことがない。子どもの頃には、大晦日はいつまで起きていても叱られなかったから嬉しかったが、そんなことももう遠い思い出だ。作者が「御免」と言っている相手は、とくに誰かを指しているのではなく、遅くまで起きて年を守っている世間一般の人々に対してだろう。この気持ちは、なんとなくわかる。早寝しようが勝手ではあるものの、いささか世間の常識に外れているような気がして、ちと後ろめたいのである。だから一応、「御免」の気持ちで寝床にもぐり込むことになるのだ。孝子・フォン・ツェルセンという人の句に、「子の去りてすることもなし年の夜」がある。これは今宵の我が家そのもののありようである。そういうわけで、では、御免。みなさまがたには佳いお年をお迎えくださいますように。『合本・俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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