自民圧勝。遠からず憲法改悪問題が浮上してくるな。暗い時代へ。(哲




2012ソスN12ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 17122012

 忘年や水に浸りてよべのもの

                           山田露結

の台所。昨夜の忘年会で使った食器類が、そのまま水に浸っている。ちゃんと洗って片づけてから休めばよかったのにと思うけれど、疲れてしまって、とてもそんな気力はなかったのだ。それこそあとの祭りである。それにしても、何たる狼藉の跡か。この皿は欠けているけれど、いつどんなことでこうなったのか、何も思い出せない。きっとこんな光景は、毎年のことなのだろう。ある意味では、本番の忘年会よりも、こちらのほうに年の瀬を感じさせられる。「さあ、やっつけるか」と腕まくりをして洗いにかかる。水道の蛇口を全開にして洗いはじめると、今年もいろいろあったなあと、はじめて忘年の思いが胸をかすめはじめるのである。『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(清水哲男)


December 16122012

 ラガー等のそのかちうたのみじかけれ

                           横山白虹

ーサイドのあと、勝者の歌は短い。なぜなら、ノーサイドの瞬間に、敵も味方もなくなるからである。ノーサイドのあとに残るのは、互いに火照った肉体、うずき始める筋肉の、骨の痛み、試合中は気にならなかった血が流れ、熱く流れ出た汗は、じきに冷えていく。ラガー等にとって、勝つことはボールを奪うことであり、タックルで止めることであり、有効にボールを蹴ること、回すこと、その瞬間を待ち、その瞬間を作り続けること以外にはない。勝つことは、試合中の80分間のみに集中されているゆえに、ノーサイドの笛のあとの勝ち歌は、短い儀式に過ぎない。かつ、相手を思いやる気持ちでもある。走り、蹴り、パスして、組み、押し、つかみ、離さず、奪い取る。全身の筋肉を使い果たしたラガー等は、一度、ラグビー場で命を燃焼し尽くしたがゆえに、あと歌はおのずと短い。『日本大歳時記・冬』(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


December 15122012

 階段の螺旋の中を牡丹雪

                           齋藤朝比古

雪や思いがけない大雪のニュースがテレビから流れているのを見ていて、数年前の雪の日を思い出した。雪降る中、数人で空を仰いでいたのだがそのうち誰かが、なんだかどんどん昇っていくみたい、と言ったのだった。雪は上から降ってくるのだから相対的に自分が昇っていくように感じるのは当然なのだが、同じように見上げていた私は、逆に雪と一緒にどんどん沈んでいくように感じていた。掲出句の場合、そこに螺旋という動きを感じさせる曲線が加わったことで、また違った感覚になる。普通の階段は、昇っても降りても前へ進むことになるが、螺旋階段はひたすら上へ、または下へ。牡丹雪もひたすら、階段もひたすら、永遠に続く一本の螺旋の中を雪がただただ落ちてゆく、そんな映像も思い浮かんで美しい。合同句集『青炎』(1997)所載。(今井肖子)




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