八十歳まで入れる。そんな生命保険勧誘がしきり。放っといてくれ。(哲




2012ソスN12ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 06122012

 おはやうと言はれて言うて寒きこと

                           榎本 享

村草田男に「響爽かいただきますといふ言葉」がある。厳しい暑さが過ぎて回復してくる食欲、「いただきます」という言葉はいかにも秋の爽かな大気にふさわしい。そんな風に普段何気なく使っている挨拶言葉に似合いの季節を考えてみると、「おはよう」と声を掛け合うのは、きりっと寒い冬の戸外が似つかわしい。「冬はつとめて」と清少納言が言っているとおり、冬を感じさせる一番の時間帯は早朝なのだ。冷えきった朝の大気に息白く、「おはよう」「おはよう」と挨拶を交す。そのあとに続く「寒きこと」は、手をこすり合わせながら自分の中で呟くひとり言なのかも。冷たい空気は身を切るようだが、互いにかけあう「おはやう」の言葉の響きは暖かい。校門に立っている先生が登校してくる生徒に掛ける「おはよう」辻の角で待ち合わせた友達と交わす「おはよう」ガラガラと店を開け始めた人に近所の人が声をかける「おはよう」さまざまなシーンを想像して寒い朝に引き立つこの言葉の響きを楽しんでいる。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)


December 05122012

 シーソーの向ひに冬の空乗せて

                           荻原裕幸

しいスタイルのシーソーがあるようだが、原理は同じ。今どきの子どもは果たしてシーソーなどで、楽しがって遊ぶだろうか。シーソー、なわとび、ブランコ、かくれんぼーーこういう遊びを失ったのが、今どきの子どものように思われる。「カワイソーに」などと思うのは私の勝手。シーソーは「ぎっこんばったん」とも「ぎったんばっこん」とも呼ばれ、以前はどんな貧弱な公園にもたいてい設置されていた。私も幼い子どもとシーソーで遊んだ頃は、足で跳ねあがってバランスをとったり、向こうに子どもを二人乗せてバランスをとろうとしたり、やれやれ親というものも結構せつないものだったなあ。掲句は向かいに「冬の空」が乗っている。それはいったいどんな「冬の空」なのか。寒さ厳しい冬とは言え、句にはどこかしら微笑ましい動きがにじんでいる。向かいに乗った「冬の空」の重さと自分の重さ、それによって、冬の寒さは厳しかったりゆるかったりしているのだろう。このシーソーのバランスが、あれこれと想像をかきたてるあたりが憎いし、スリリングである。裕幸は《わたしを遮断するための五十句》と題して一挙に発表している。他に「晩秋のシャチハタ少し斜に捺す」「広告にくるめば葱が何か言ふ」と、自在な句がならぶ。「イリプスII nd」10号(2012.11)所載。(八木忠栄)


December 04122012

 初雪や積木を三つ積めば家

                           片山由美子

年の初雪の知らせは北海道では記録的に遅いとされる11月18日。これから長い雪の日々となるが、「初」の文字は苦労や困難を超えて、今年も季節が巡ってきた喜びを感じさせる。雪の季節になれば、子どもの遊びも屋外から室内へと移動する。現代のように個室が確立してなかった時代には、大人も子どもも茶の間で多くの時間を費やしていた。あやとり、お手玉、おはじき、塗り絵など、どれも大人の邪魔にならないおとなしい室内の遊びを家庭は育んできた。掲句の積み木にも、家族の目が届くあたたかい居間の空気をまとっている。おそらくそれはふたつの四角の上に三角を慎重に乗せたかたち。四角柱は車になったり、円柱は人間になったりもする。人は誰にも教わることなく見立てをやってのけるのだ。初雪の静けさにふっくらとした幼な子の手の動きが美しい。『香雨』(2012)所収。(土肥あき子)




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