十一月も、あっという間におしまい。時間がどんどん過ぎてゆく。(哲




2012ソスN11ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 30112012

 寒雀瓦斯の火ひとつひとつ點きぬ

                           能村登四郎

四郎31歳の時の句。大学を卒業後昭和14年28歳で「馬酔木」に投句。それから三年後の作品で「寒雷」にも投句していたことがわかる。「寒雷集」二句欄、もう一句は「卒業期もつとも遠き雲の朱」。両方とも若き教師としての生活がうかがわれる作品である。同じ二句欄に森澄雄の名前もある。澄雄の方は「寒天の松暮れてより夕焼くる」「かんがふる頬杖の手のかぢかみて」。ふたりともすでに生涯の傾向の萌芽が明らか。太平洋戦争開戦から三ヶ月。緒戦の勝った勝ったの熱狂の中でこのような素朴な生活感に眼を遣った句が詠まれていたことに瞠目する。「寒雷・昭和十七年三月号」(1942)所載。(今井 聖)


November 29112012

 鯛焼の余熱大江戸線を出る

                           川嶋隆史

つあつの鯛焼の袋を抱える楽しみはやはり寒くなってくると一段とうれしく感じられる。吉祥寺のハーモニカ横丁にある鯛焼はびっしりと尾まで餡が詰まっているうえ、餡の甘さもほどほどでとてもおいしい。茶色のハトロン紙に挟んだ鯛焼をほくほく食べながらアーケードを歩いている若いカップルをよく見かける。鯛焼は歩きながら食べるのがいい。さて、揚句では「大江戸線を出る」が句の眼目だろう。大江戸線は他の地下鉄の路線よりよっぽど深く掘ってあるのかなかなか地上にたどりつけない。何回もエレベーターを乗り換え蟻の穴から這い出る具合である。そんな地下鉄から寒い街へ出ると、抱えた鯛焼きの余熱がより暖かく感じられる。「大江戸線」と「鯛焼」の言葉の響き具合もいい。鯛焼には「ぐったりと鯛焼ぬくし春の星」西東三鬼の句があるが、これは鯛焼が生ぬるく、おいしくなさそうだ。やはり鯛焼のぬくみは冬に限る。『知音』(2012)所収。(三宅やよい)


November 28112012

 そぞろ寒仕事あり?なし?ニューヨーカー

                           長尾みのる

年九月現在のアメリカの失業率は7.8%だった。日本の約2倍で、相変わらず高い。「そぞろ寒」は秋の季語だけれど、ニューヨークのこの時季は寒さがとても厳しくなる。十数年前、十二月のニューヨークに出かけたとき、マンハッタンの道路では、地下のあちこちから湯気が煙のように白く噴き上げ、街角にはホームレスがたむろしていた。新聞のトップには、「COLD WAR」という意味深な文字が大きく躍っていた。そのことが忘れられない。掲句は冬を目前にして、仕事にありつけないでいるだろうニューヨーカーに思いを致しているのだ。みのるは「POP haiku」と題して、サキソホンを持ってダウンタウンの古いアパートメントに腰を下ろしている、若いニューヨーカーの姿を自筆イラストで大きく描いて句に添えている。私はすぐに十数年前のニューヨーク市街の光景を思い出した。現在はどうなのか? かつて海外放浪をしたみのるが心を痛め、ニューヨークに寄せる思いの一句であろう。彼は1953年に貨物船でアメリカに第一歩を踏んで、三年間に及ぶ世界一周の旅をしたという。「戦勝国なのにボロ着の失業者風の人々を沢山見て夢が弾けそうになった」と記している。俳句の翻訳も多く、「国際俳句ロシア語句会」のメンバーでもある。「慌ててもハナミズキ散るニューヨーク」の句もならんでいる。「俳句四季」2012年11月号所載。(八木忠栄)




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