ついに出てきた「国防軍」。若者よ、他人事じゃないんだよ。(哲




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November 24112012

 百の鴨集まる何も決まらざる

                           大島雄作

春日の池のほとりでぼんやりしているのは気持ちがよい。しかしただの日向ぼこりに終わってしまってはやはりいけないか、と鴨の陣に近づいてしばらく見ていると、時々仲間から離れてすねているように見えるのがいたり、大勢で一羽をいじめているように見えたりする。しかしもう少し寒くなると、凩の道を避けた日溜りに、みんなで上手に陣を張って浮き寝している鴨。あのふっくらした姿からは想像もつかないほどの過酷な旅をして生き抜いてきた彼等に、特にリーダーはいないという。鴨の池がありありと見える掲出句だが、すねるのも、いじめるのも、群れれば序列ができて集まっても何も決まらないのも、愚かなヒトの次元の話なのだろう。『大島雄作集』(2012)所収。(今井肖子)


November 23112012

 珊太郎来てすぐ征くや寒に入る

                           加藤楸邨

澤珊太郎始めて来訪、の前書きがある。珊太郎は兜太の親友。楸邨宅には金子兜太が伴ってきたのだろう。兜太は熊谷中学を卒業したあと、昭和十二年に水戸高校文科に入学。一年先輩に珊太郎が居て誘われるままに校内句会に出たのが俳句との機縁である。その折作った「白梅や老子無心の旅に住む」が兜太初の句。珊太郎は作家星新一の異母兄。水戸高校俳句会を創設し、竹下しづの女と中村草田男の指導による「成層圏句会」の会員となりその後草田男の「萬緑」の立ち上げに関った。その後兜太たちと同人俳誌『青銅』を発刊。三十七年には『海程』創刊に発行人として参加。晩年は『すずかけ』の主宰者として活動した。この年、珊太郎二十五歳。兜太二十四歳。楸邨三十六歳。同じ号に「寒雷野球部第一回戦の記」と題して、寒雷軍(楸邨主将)対東京高師野球部(二軍)の対戦が府立八中の運動場で行われ寒雷軍が四対三で勝ったことが載っている。みんな若かった。「寒雷・昭和十七年三月号」(1942)所載。(今井 聖)


November 22112012

 冬桜化粧の下は洪水なり

                           渋川京子

桜は文字通り冬に咲く桜。一重で白っぽい色をしている。春先に一斉に花開くソメイヨシノと違いいかにも寂しそうである。冬桜は12月ごろから翌年の1月にかけて咲く花。と歳時記にある。二度咲きの変種ではなくわざわざ寒さの厳しくなる冬に開花するのは人間が自らの楽しみのため人為的に作り出したものだろう。化粧で華やかに装った顔の下に激しく感情の動揺が隠されているのだろうか。化粧で押し隠された思いが「冬桜」に形を変えて託されていると考えられる。「今日ありと思ふ余命の冬桜」中村苑子の句なども「冬桜」のはかなさに自分の在り方を重ねて詠んでいるのだろう。作中主体が作者であると必ずしも言えないが自らの感情を託すのだから、私小説的作り方とも言えよう。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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