暖房を入れました。例年よりだいぶ早め。暖かいのはイイコトだ。(哲




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November 23112012

 珊太郎来てすぐ征くや寒に入る

                           加藤楸邨

澤珊太郎始めて来訪、の前書きがある。珊太郎は兜太の親友。楸邨宅には金子兜太が伴ってきたのだろう。兜太は熊谷中学を卒業したあと、昭和十二年に水戸高校文科に入学。一年先輩に珊太郎が居て誘われるままに校内句会に出たのが俳句との機縁である。その折作った「白梅や老子無心の旅に住む」が兜太初の句。珊太郎は作家星新一の異母兄。水戸高校俳句会を創設し、竹下しづの女と中村草田男の指導による「成層圏句会」の会員となりその後草田男の「萬緑」の立ち上げに関った。その後兜太たちと同人俳誌『青銅』を発刊。三十七年には『海程』創刊に発行人として参加。晩年は『すずかけ』の主宰者として活動した。この年、珊太郎二十五歳。兜太二十四歳。楸邨三十六歳。同じ号に「寒雷野球部第一回戦の記」と題して、寒雷軍(楸邨主将)対東京高師野球部(二軍)の対戦が府立八中の運動場で行われ寒雷軍が四対三で勝ったことが載っている。みんな若かった。「寒雷・昭和十七年三月号」(1942)所載。(今井 聖)


November 22112012

 冬桜化粧の下は洪水なり

                           渋川京子

桜は文字通り冬に咲く桜。一重で白っぽい色をしている。春先に一斉に花開くソメイヨシノと違いいかにも寂しそうである。冬桜は12月ごろから翌年の1月にかけて咲く花。と歳時記にある。二度咲きの変種ではなくわざわざ寒さの厳しくなる冬に開花するのは人間が自らの楽しみのため人為的に作り出したものだろう。化粧で華やかに装った顔の下に激しく感情の動揺が隠されているのだろうか。化粧で押し隠された思いが「冬桜」に形を変えて託されていると考えられる。「今日ありと思ふ余命の冬桜」中村苑子の句なども「冬桜」のはかなさに自分の在り方を重ねて詠んでいるのだろう。作中主体が作者であると必ずしも言えないが自らの感情を託すのだから、私小説的作り方とも言えよう。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


November 21112012

 冬の田のすつかり雨となりにけり

                           五所平之助

植直前の苗が初々しく育った田、稲が青々と成長した田、黄金の稲穂が波打つ田、稲が刈り取られていちめん雪に覆われた田ーー四季それぞれに表情が変わる田んぼは、風景として眺めているぶんにはきれいである。しかし、子どものころから田んぼ仕事を手伝わされた私の経験から言うと、きれいどころか実際はとても骨が折れて決してラクではなかった。平之助は雨の日に通りがかりの冬の田を、道路から眺めているのだろう。似た風景でも「刈田」だと秋の季語だが、今やその時季を過ぎて、稲株も腐りつつある広い田園地帯に降る冬の冷たい雨を、ただ呆然と眺めている。見渡しても田に人影はなく、鳥の姿も見えていない。それでなくとも何事もなく、ただ寂しいだけの殺風景な田園を前にして、隈なく「すつかり」ただただ雨である。ここでは「冬田つづきに磊落の家ひとつ」(友岡子郷)の「家」も見えていなければ、「家康公逃げ廻りたる冬田かな」(富安風生)の「家康公」の影も見えていない。ただ荒寥とした田んぼと雨だけである。詠み手の心は虚ろなのかもしれないとさえ思われてくる。平井照敏編『新歳時記・冬』(1996)所収。(八木忠栄)




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