喪中はがきが届きはじめた。我が家も二年連続で賀状を出さない。(哲




2012ソスN11ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 22112012

 冬桜化粧の下は洪水なり

                           渋川京子

桜は文字通り冬に咲く桜。一重で白っぽい色をしている。春先に一斉に花開くソメイヨシノと違いいかにも寂しそうである。冬桜は12月ごろから翌年の1月にかけて咲く花。と歳時記にある。二度咲きの変種ではなくわざわざ寒さの厳しくなる冬に開花するのは人間が自らの楽しみのため人為的に作り出したものだろう。化粧で華やかに装った顔の下に激しく感情の動揺が隠されているのだろうか。化粧で押し隠された思いが「冬桜」に形を変えて託されていると考えられる。「今日ありと思ふ余命の冬桜」中村苑子の句なども「冬桜」のはかなさに自分の在り方を重ねて詠んでいるのだろう。作中主体が作者であると必ずしも言えないが自らの感情を託すのだから、私小説的作り方とも言えよう。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


November 21112012

 冬の田のすつかり雨となりにけり

                           五所平之助

植直前の苗が初々しく育った田、稲が青々と成長した田、黄金の稲穂が波打つ田、稲が刈り取られていちめん雪に覆われた田ーー四季それぞれに表情が変わる田んぼは、風景として眺めているぶんにはきれいである。しかし、子どものころから田んぼ仕事を手伝わされた私の経験から言うと、きれいどころか実際はとても骨が折れて決してラクではなかった。平之助は雨の日に通りがかりの冬の田を、道路から眺めているのだろう。似た風景でも「刈田」だと秋の季語だが、今やその時季を過ぎて、稲株も腐りつつある広い田園地帯に降る冬の冷たい雨を、ただ呆然と眺めている。見渡しても田に人影はなく、鳥の姿も見えていない。それでなくとも何事もなく、ただ寂しいだけの殺風景な田園を前にして、隈なく「すつかり」ただただ雨である。ここでは「冬田つづきに磊落の家ひとつ」(友岡子郷)の「家」も見えていなければ、「家康公逃げ廻りたる冬田かな」(富安風生)の「家康公」の影も見えていない。ただ荒寥とした田んぼと雨だけである。詠み手の心は虚ろなのかもしれないとさえ思われてくる。平井照敏編『新歳時記・冬』(1996)所収。(八木忠栄)


November 20112012

 二の酉を紅絹一枚や蛇をんな

                           太田うさぎ

日は二の酉。一年の無事に感謝し、来る年の幸を願うという。関東は酉の市のおとりさま、関西はえびす講のおいべっさんが馴染みだが、どちらも年末に向かっていることを実感するにぎやかな行事である。祭りや縁日を巡業する見世物小屋は、全盛期には全国で300軒にものぼったというが、現在は1軒のみという。仮設の小屋での摩訶不思議な世界は、テレビなどが普及する以前の大衆娯楽として幅広く受け入れられていた。以前、鬼子母神にも見世物小屋が掛かったことがある。小心者のわたしは結局入れなかったが、流れてくる口上と顔見せでじゅうぶん足がすくんだ。紅絹の長襦袢でしなしなと揺れるその人を「好きで食べるのか、病で食べるのか、人として人と交わることができないのか」と紹介する。蛇女は決して声を出さない。それは生身の人間であることを拒絶しているように。「雷魚」(2012年4月・90号)所載。(土肥あき子)




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