小沢叩きの記事に比べて無罪記事は小さい。ジス・イズ・マスコミ。(哲




2012ソスN11ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 13112012

 牡蠣割女こどもによばれゐたりけり

                           嶺 治雄

蠣割、牡蠣打ちとは牡蠣殻から牡蠣の身を取り出す作業である。牡蠣割女(かきわりめ)は郵便夫などとともに、男女を誇張した呼び名を避ける昨今の風潮には適さないと切り捨てようとされている言葉のひとつだ。しかし、牡蠣割には男が海に出て得た糧を、女が手仕事で支えていた時代のノスタルジーとエネルギーがあり、捨てがたい情緒が漂う。寒風、波の音、黙々と小刀を使って牡蠣を剥く。現在の清潔な作業場においても、俳人はそこになにかを見ようとし、目を凝らし耳を澄まし、江戸時代の其角や支考の句などを去来させつつ、次第に現代から浮遊していく。そして、子どもの声によって、唐突にこの人にも電化製品に囲まれたごく普通の生活があったのだと気づくのだ。牡蠣割女が振り向くとき、そこには時代を超えてただただ優しい母の顔があるのだろう。〈鳥雲に人はどこかですれちがふ〉〈夏痩せの腕より時計外しけり〉〈犬小屋に眠れる猫や春近し〉『恩寵』(2012)所収。(土肥あき子)


November 12112012

 こがらしや子ぶたのはなもかわきけり

                           小野敏夫

い読者にはおなじみの句。十二年前の掲示板で作者探しがはじまり、この間多数の読者にご協力をいただきましが不明のままで過ぎてきました。そしてまさにいま「こがらし」の季節に、ようやく土肥あき子さんが突き止めてくれました。詳細については「ZouX」304号をご覧ください。作者が当時の群馬在住だったこともわかり、群馬といえば「上州の空っ風」で有名な土地ですから、句の「こがらし」はさぞや猛烈な勢いで吹いていたことでしょう。敗戦直後のころには、豚を飼っている農家は少なくありませんでした。だから「子ぶた」も、小学生の作者にとっては親しい存在です。登校途中ででも目撃したのでしょうか。可愛い子ぶたたちが、寒さに震えて身を寄せあっている姿が目に浮かんできます。「はなもかわきけり」とは、なかなかに鋭い観察ですね。なお、原句は「凩や小豚の鼻も乾きけり」というものでした。教科書に載せるにあたって、文部省がやさしい表記に改めたのでしょう。どちらが良いとは一概には言えませんが、作者がご健在なら、そのあたりのことも含めてご感想をお聞きしたいと、また新しい欲が湧いてきました。「少国民の友」(1946年4月号)初出。(清水哲男)


November 11112012

 立冬や浮き上がりさうな力石

                           岩淵喜代子

の姿ということを意識しないままに読み、作ってきましたが、もしかしたら、この句にはそれがあるのかもしれません。何度読み返してみてもわからない句なのですが、それでもしばらくの間、この句から目を離せられないからです。まず、「立冬」で始まり、「力石」で終わる、この納まりのよさ。漢字二字を上下に配置した姿です。増俳では、横書きになりますが、この句を縦書きにしてみてください。「立冬」は暦のうえの言葉ですが、この日、空を見上げて冬を予感する人もいるでしょう。それに対して「力石」は寺社の境内にあって、昔は力試しに持ち上げられたそうですが、今は地面に黙って鎮座しています。文字の上下と事象の天地が対応していることによって、句の姿が安定しています。ところが、中七が全く不安定で、第一に字余り、第二に「浮き上がりさうな」という内容です。「浮き上がりさうな力石」とは、どこの、どんな、どれくらいの大きさの力石であるのか、その時の天候は、そして作者の心のもちようはどのような状態であったのか、不明です。つまり、中七は謎です。しかし、立冬は確かに今年もやって来て、力石は、日本中の寺社に遍在しています。季節は確実に繰り返し、力石は不易の姿。掲句に生物は登場しませんが、天地の間を徘徊して、ときに、幻視してしまう風羅坊(「笈の小文」)の姿が見え隠れするようです。『白雁』(2012)所収。(小笠原高志)




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