今日は乾電池の+?を「十一」にみたてた電池の日だそうです。(哲




2012ソスN11ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 11112012

 立冬や浮き上がりさうな力石

                           岩淵喜代子

の姿ということを意識しないままに読み、作ってきましたが、もしかしたら、この句にはそれがあるのかもしれません。何度読み返してみてもわからない句なのですが、それでもしばらくの間、この句から目を離せられないからです。まず、「立冬」で始まり、「力石」で終わる、この納まりのよさ。漢字二字を上下に配置した姿です。増俳では、横書きになりますが、この句を縦書きにしてみてください。「立冬」は暦のうえの言葉ですが、この日、空を見上げて冬を予感する人もいるでしょう。それに対して「力石」は寺社の境内にあって、昔は力試しに持ち上げられたそうですが、今は地面に黙って鎮座しています。文字の上下と事象の天地が対応していることによって、句の姿が安定しています。ところが、中七が全く不安定で、第一に字余り、第二に「浮き上がりさうな」という内容です。「浮き上がりさうな力石」とは、どこの、どんな、どれくらいの大きさの力石であるのか、その時の天候は、そして作者の心のもちようはどのような状態であったのか、不明です。つまり、中七は謎です。しかし、立冬は確かに今年もやって来て、力石は、日本中の寺社に遍在しています。季節は確実に繰り返し、力石は不易の姿。掲句に生物は登場しませんが、天地の間を徘徊して、ときに、幻視してしまう風羅坊(「笈の小文」)の姿が見え隠れするようです。『白雁』(2012)所収。(小笠原高志)


November 10112012

 鯛焼を割つて小豆をかがやかす

                           市川きつね

っかりしていた。「古志青年部作品集 第一号」(2012年3月)で掲出句を読み、いいなあ、小豆だから秋になったら鑑賞させていただきましょう、と思っているうち、立冬が過ぎてしまった。鯛焼はいつでもあるけれど、なんとなく冬にほかほかを食べたい、という印象なのもうっかりの原因かもしれない、と思って見ていると、歳時記によっては鯛焼が冬季として立っているのもある。逆に、小豆だけでは立ってなく、新小豆のみという歳時記もあるが、ここはかがやく小豆の句として読んだ。子供の頃肌寒くなってくると、母が茹で小豆を作ってくれた。大きなアルミの鍋一杯に煮ると、家中にほの甘い香りが漂ってうれしかったものだ。思えば新小豆が出回る頃だったのだろう。この鯛焼の餡はつぶあん、ほかっと割ると小豆がつやつやと顔を出す。その光景は誰もが一度は目にしたことがあり、割ればかがやく、なのだ。そこを、かがやかす、という使役表現にすることで、割る、という一瞬の動作がいきいきと強調され、一気に湯気が立ちのぼり、小豆がまことに美しくおいしそうなのである。(今井肖子)


November 09112012

 水鳥に投げてやる餌のなき子かな

                           中村汀女

の句所収の『汀女句集』は序文を星野立子が書いていて、その序文の前、つまり句集の巻頭には虚子の「書簡」が掲げられている。拝啓で始まり怱々頓首で終わる汀女宛の実際の書簡である。これが面白い。あなた(汀女)は私(虚子)に選のお礼を述べられたが「もう何十年かあなた許りで無く、何百人、何千人、或は何万人といふ人の句を毎日選び続けて今日まで参りました。」そんな多くの句の選をして疲労せずにいることができるのは、それらの中に自分を驚喜せしめ興奮せしめる句があるからで、あなたが私に感謝なさるよりも私の方こそあなたに感謝しなければならないと書く。ここまでなら謙虚で品のいい指導者らしい言い方になるが虚子はもちろんそこで終わらない。「併し斯んなことをいふたが為めに、あなたの力量を過信なさっては困ります。(中略)今日の汀女といふものを作り上げたのは、あなたの作句の力と私の選の力とが相待って出来たものと思ひます。」と続ける。そもそも選のお礼を虚子に言ってきているのだから汀女は言われるまでもなくわかっているのだが、虚子はえげつなく誰のおかげだと念を押す。さらに想像して言えば、この汀女宛の「書簡」が巻頭に載って多くの門弟たちに読まれることを虚子は知っていたので(当然汀女はあらかじめ許可を得ているはず)、その機会を借りて組織のヒエラルキー護持と権威への信奉を強調したとも取れる。やっぱり怪物だなあ。この句集、子を詠んだ秀句が多い。この句もテーマは水鳥ではなく子どもの「気持」そのものが眼目である。『汀女句集』(1944)所収。(今井 聖)




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