October 292012
若き母の炭挽く音に目覚めをり
黒田杏子
掲載誌では、この句の前に「炭焼いて炭継いで歌詠みし母」が置かれている。だから掲句の炭は、母が焼いたものだ。私が子どもの頃に暮した田舎でも、農繁期を過ぎると、山の中のあちこちの炭窯から煙が上がっていたものである。焼いた炭は、使いやすいように適当にのこぎりで切っておく必要がある。たいして力もいらないから、たいていは女子どもの仕事だった。深夜だろうか。ふと目覚めると、母の炭を切る音が聞こえてきた。このときの子どもの気持ちは、お母さんも大変だなとかご苦労さんというのではなく、そうしたいわば日常化した生活の音が聞こえることで、どこかでほっと安堵しているのだ。とにかく、昔の女性はよく働いた。電化生活など想像すべくもなかった時代には、コマネズミのように働き、そしていつもそれに伴う生活の音を立てていた。たまに母親が寝込んでしまうと、家内の生活の音が途絶えるから、子どもとしてはなんといえぬ落ち着かぬ気分になったものだ。母を追慕するときに、彼女の立てていた生活の音を媒介にすることで、句には大いなる説得力が備わった。「俳句界」(2012年11月号)所載。(清水哲男)
October 282012
をりとりてはらりとおもきすすきかな
飯田蛇笏
すすき一本を活け花のように立てた句です。句には表現されていませんが、すすきをささえる指のはたらきが繊細です。満月に供えるためでしょうか。野に出てすすきを折り、手に取って、親指・人差し指・中指でもつと、その穂は、はらりとしだれ、三本の指に重さがかかります。句では、二つの動詞と副詞・形容詞がすすきにかかっていますが、そのすすき一本を、三本の指でささえています。「はらり」が軽さを形容するので、「おもき」はじかに伝わります。なお、表記をすべてひらがなにしているのは、韻律を気づかせたい意図もはたらいているからでしょう。「をriとriてはらriとおもkiすすkiかな」。「i」が脚韻として音の筋を通すことですすき一本が立ち、はらりとおもき手ごたえも伝わります。「現代俳句歳時記・秋」(1999・現代俳句協会編)所載。(小笠原高志)
October 272012
厠なる客のしはぶき十三夜
大橋櫻坡子
咳(しわぶき)と十三夜、いかにも晩秋を感じさせる。ただでさえ十三夜は、やや欠けていることのもの寂しさと、晩秋の夜の静けさと、多くの情感を合わせ持っている言葉である。そこにしわぶく音が弱々しく聞こえる、というのはあまりに情に流れるのでは、というところを、厠なる客、の具体性がうまくバランスを与えている。厠、という古来の言葉が、歩くと軋みもする日本家屋を思わせ、少し離れたところから聞こえる月の友の咳が、いよいよ澄み渡る夜の大気を感じさせる。今年の名月は、雲の切れ間に垣間見えたり、深夜から明け方ふと気づいたら見えていたり、待ちかまえているところに上ってくるのとはまた違った趣があった。万全でないこともまた好もしい、十三夜を愛でる心持ちもそれと似ているかもしれない。『大橋櫻坡子集』(1994)所収。(今井肖子)
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