「俳句」と「俳句界」がともに句帳を付録に。必要な人いるのかな。(哲




2012ソスN10ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 26102012

 尋ね人尋ねつづける天の川

                           吉田汀史

だ小学生の頃だったろうか、新聞に尋ね人の欄があったように記憶している。ラジオでもそれだけを読み上げる番組があったような。1950年という僕の生年は若い頃は戦争を知らない子供などと新時代の始まりを強調されたが、考えてみると日本中に爆弾が降った戦争が終わってまだ5年しか経っていなかったのだ。シベリア抑留の人たちもまだ舞鶴に着いていた。尋ね人は行方不明の人たち。今日も多くの新しい「尋ね人」が生まれている。『汀史虚實』(2006)所収。(今井 聖)


October 25102012

 通称はちんぽこ柿といふさうな

                           西野文代

の年になると「ちんぽこ」なんて言葉を聞いても笑って通りすぎることができるけど若くて気取ってた頃は聞くだけで恥ずかしかった。坪内稔典著『柿日和』によると、柿の名前は同じ品種でも地方によって異なるらしい。調べてみると「ちんぽこ柿」は「珍宝柿」先がとがった筆柿の呼び名のようだ。なんともユニークな名前。少しこぶりのこの柿が籠に5つ、6つ盛られている様子を思うと可愛らしく感じられる。初めてこの名前を知って「そうなん!」と合点した作者の嬉しがりようも伝わってくるようだ。次郎柿、富有柿など数ある柿の名前の一つとして、歳時記の「柿」の項にこの句を置いてみたい。気取りなく、秋を彩る柿の心やすさにぴったりに思える。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


October 24102012

 境内や草の中なる相撲風呂

                           佐藤紅緑

相撲九月場所は、日馬富士の連続全勝優勝→横綱昇進、という結果で幕を閉じた。さて、こちらは「草の中」という言葉の連想から、草相撲であると解釈したい。土俵で汗を流し砂にまみれる相撲には、大相撲であれ草相撲であれ、風呂は付きものである。私が子どもの頃は土俵上の勝負だけでなく、取り終わって風呂に入る裸の彼らを、物珍しいものでも見るように、テントの隙間や銭湯の入口から覗き見したおぼえがある。地方巡業に来た鏡里や吉葉山らの、色つやが良く大きな素裸は今も目に焼きついている。「相撲」は秋の季語。「境内」だから、寺社に設けられた土俵で取り組みを終わった相撲取りが入る臨時の風呂が、境内隅の草地に設けられているのだ。相撲はもともと祭事的行事であり、以前はたいていの寺社や学校の校庭の隅に土俵が設けられていた。私が住んでいる町の大神宮の境内には立派な土俵があって、江戸時代からつづけられている奉納相撲大会が、現在も毎年10月に開催されている。子供の部もあって賑わっている。「草の中なる」風呂によって、気取らずのどかで真剣な相撲大会の雰囲気が想像される。そんな佳き時代があった。「やはらかに人分け行くや勝角力」(几董)。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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