いつの間にやら10月も下旬へ。そろそろ冬に向けて生活切り替え。(哲




2012ソスN10ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 21102012

 風に立つそのコスモスに連帯す

                           大道寺将司

者の状況を知ることによって、五七五で書かれた言葉は、きわめて限定された視野から成立していることがわかる場合もあります。作者は「連続企業爆破事件」で1975年に逮捕され、1987年に死刑が確定し、現在、獄中で闘病生活を送っています。今年三月に上梓された句集のあとがきに、「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直裁的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、(略)獄外で過ごした時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか。」掲句は2000年の作ですが、コスモスを詠んだ句は他に四句あり、「ひたぶるにコスモス揺れていたりけり」(2002年)「風立ちててんでに戦(そよ)ぐ秋桜(あきざくら)」(2006年)「揺るぎても付きて離れぬ秋桜」(2009年)「右を向き左に靡(なび)く秋桜」(2011年)。東京拘置所は改築されてから窓に目かくしがほどこされたので、記憶の中によみがえるコスモスを断続的に詠むことになるのでしょう。私も作者同様釧路で生まれ育ったので、冷たい潮風に揺れるコスモスの記憶があります。『棺一基 大道寺将司全句集』(2012)所収。(小笠原高志)


October 20102012

 カステラが胃に落ちてゆく昼の秋

                           大野林火

日句会で、昼の秋、という言葉を初めて見た。作者は二十代後半、ラーメンを食べる句だったが、秋という言葉の持つもの淋しさとも爽やかさとも違う、不思議な明るさが印象的だった。掲出句は昭和九年、作者三十歳の作。八十年近い時を経て、同年代の青年が健やかに食べている。秋晴れの真昼間、空が青くて確かにお腹も空きそう、カステラがまた昭和だなあ、などとのんきに思いながら、昭和九年がどんな年だったのかと見ると、不況の中、東北地方大冷害、凶作、室戸台風など災害の多い年だったとある。だとすれば健やかより切実、一切れのふわふわ甘い卵色のカステラが、その日初めて口にした食べ物だったかもしれない。だからこその、胃に落ちてゆく、なのか。なるほどと思いながら、昼の秋、の明るさがどこかしみじみとして来るのだった。『海門』(1939)所収。(今井肖子)


October 19102012

 誰彼もあらず一天自尊の秋

                           飯田蛇笏

名な句だ。蛇笏の臨終の句とも辞世の句とも言われている。一方で最後の句集の末尾に載っているのでそう言われているだけで単なる句集の配列でそうなったのだという説もある。解釈に於いてもさまざまあるようだ。自尊は蛇笏自身を言ったもので天に喩えて自らの矜持を詠んでいるという鑑賞もあるが、僕は、天=自分の喩えではなく天そのものを擬人法で捉えた句と読みたい。世事のあれこれはどうでもいいこと。天は天として自ずから厳然と超然と存在している。そんな秋である。というふうに。『蛇笏・龍太の山河』(2001)所収。(今井 聖)




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