ろくに読んでもいないのに、なぜ受賞できなくて残念などと思うのか。(哲




2012ソスN10ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 13102012

 足首を褒められてをりこぼれ萩

                           祐森水香

だ細いだけではなく、アキレス腱がくっきりと美しい足首だろう。こぼれつつ咲く萩の道、作者のやや後ろを歩きながら散り敷く萩に向られていた誰かの視線が、つとその足首に見惚れてしまったというわけだ。スカートの丈はやや長め、裾が揺れ、萩が揺れ、長い髪も揺れ、それらのやわらかいゆらぎと、アキレス腱の繊細な凛々しさの対比が魅力的だ。きれいな足首ですね、と後ろから話しかけられた作者、お綺麗ですね、スタイルがいいですね、などと言われるのには慣れていても、足首をピンポイントで褒められるということはそうは無いことだろう。あらそうですか、ありがとうございます、などと言いながら、ふと感じているその恥じらいに、こぼれ萩、がほんのりと色香を添えている。『月の匣』(2011年12月号)所載。(今井肖子)


October 12102012

 秋の夜の畳に山の蟇

                           飯田龍太

穴を出づといえば春の季語。蟇だけだと夏の季語。この句秋の夜の蟇だから理屈でいえば冬眠前の蟇ということになろうか。山国ならではの実感に満ちた句だ。一句の中に季語を二つ以上用いるのはやめた方がいいと初心の頃は教わる。まして季節の異なる季語を併用するのは禁忌に等しい。そこを逆手に取って最近は敢えて一句に季語を二つ以上使ってみせる俳人もいるが技術の披瀝を感じるとどこかさびしい。この句、季語を二つ使ってみました、どんなもんだの押し付けはない。自然で素直で、インテリジェンスもダンディズムも感じない。本当の本物だ。『蛇笏・龍太の山河』(2001)所収。(今井 聖)


October 11102012

 鳥威し雨に沈みてゐるもあり

                           波多野爽波

ちこちの田んぼではもう稲刈りは終わっただろうか。金色に垂れる稲穂を雀などから守るためにピカピカ光る鳥威しが田んぼのあちこちに結わえられている。そのうちの一つが雨に打たれて落ち、そのまま水たまりに浸かっているのだろうか。濡れそぼつ鳥威しがなまなましく感じられる。「鳥威し」が空中にひるがえり鳥を威嚇するものという概念に囚われていると見いだせない現実だ。眼前にある対象を描写しただけに思えるこのような句について語るのは難しいが、そんなとき「無内容、無思想な空虚な壺に水のように注がれて初めて匂い出て来るもの」と言った山本健吉の言葉をふと思い出す。「日本大歳時記」(1985)所載。(三宅やよい)




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