三鷹市人口18万人中104歳以上が10人。いずれも女性だとのこと。(哲




2012ソスN10ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 04102012

 水澄んで段差になつてをりし父

                           大石雄鬼

に映る自分の姿に見入るのはナルキッソスの話から何らの自意識の投影と思われる。ところがこの句ではその影を「段差になる」と表現している。底まで清らかに澄んでいる水面に映っている父としての自分の影が段差になって見えている。屈折するその影が日常見過ごしている違和感を表しているようだ。父とは母と違いむくわれない存在であるように「母」体験者である自分などは思う。母子は言葉を超えての密着が在るが故、確執も愛憎も激しい。それに比べ「父」は家庭を維持する経済的負担と精神的負担が大きいわりに親密さに置いては蚊帳の外である。「父」という言葉には家族の中での孤独が隠されているように思う。「段差になってをりし父」とそれを見ている自分と突き放して描き出すことで、そこはかとない哀愁を感じさせる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)


October 03102012

 高曇り蒸してつくつく法師かな

                           瀧井孝作

い暑いと私たちを悩ませた夏も、秋の気配がしのび寄れば法師蝉と虫の音の世界に変わり、ホッと一息。とにかく日本の夏は、蒸し暑いのだからたまらない。今年は九月半ばを過ぎても、連日気温30度以上の夏日を記録した。以前、沖縄の気温は年間を通じて関東より10度前後高かったのに、今年は沖縄より東京など東日本が1〜3度高い日が少なくなかった。私は「群馬や埼玉の人は沖縄へ避暑に行ったら?」などと呟いていた。日本列島はやはり熱帯化しつつあるのでしょうか。「高曇り」は空に高くかかった雲で曇っている様子の意味。法師蝉が鳴く秋になっても、曇って湿気が高い陽気は誰もが経験している。せめてもの救いは法師蝉が、きちんと声の「務め」を果たしてくれていることだろう。気をつけて聞けば、「ジュジュジュ……オーシンツクツク……ツクツクオーシ……ジー」と四段階で鳴いている。私の故郷では「ツクツクオーシ」を「カキ(柿)クッテヨーシ」と聞いて、柿を食べはじめていい時季とされている(その時季は必ずしも正確ではないようだが)。『和漢三方図絵』には「鳴く声、久豆久豆法師といふがごとし」とある。三橋鷹女には「繰言のつくつく法師殺しに出る」という物騒な句がある。虫の居所が悪かったのか、よほどうるさかったのだろう。平井照敏『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


October 02102012

 七草に入りたきさまの野菊かな

                           原 石鼎

和10年10月1日、東京日日新聞夕刊で「新秋七草の賦」を連載した。当時の名士7名にそれぞれ1種の秋の草花を挙げてもらい、菊池寛「コスモス」、与謝野晶子「白粉花」、辻永「秋海棠」、斎藤茂吉「曼珠沙華」、長谷川時雨「雁来紅」、高浜虚子「赤のまんま」、牧野富太郎「菊」で新秋の七草が決定した。当時の名士が推挙し、毎週自選の弁が掲載され、のちに女子学生へのアンケートなども行った人気を博した企画であったが、現在ほとんど知られていないのは、やはり七種の草花がてんでばらばらに個性を発してしまうからで、七草が互いに通い合う風情が大きく欠落しているからだろう。唯一の救いは「菊」が入っていることだ。掲句の初出は明治36年11月3日の山陰新聞、石鼎17歳、新聞初入選の作品である(『頂上の石鼎』)。精鋭作家として注目されながら、なにごとも思いの叶わなかった石鼎に「富太郎先生が菊を七草にお入れになりました」と手を取ってお伝えした弟子は果たしていたのだろうか。秋の花をひとつ。あなたなら何を選びますか?『花影』(1937)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます