家電+カジュアル衣料店に長蛇の列。よくわからん時代になった。(哲




2012ソスN9ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2892012

 ローマ軍近付くごとし星月夜

                           和田悟朗

白い比喩だなあ。そういう予感があって星空を見上げたというドラマの設定ではなくて星空そのものをローマ軍に喩えた句だ。この句の面白さはなぜ「ローマ軍」なのかの一点。星の数から連想される大軍のイメージ。ならば家康軍でも蒙古軍でも米軍でもソ連軍でもいいのだけれど作者にとってはローマ軍なのだ。歴史ドラマではローマ軍は悪役になることが多い。でもこの句には悪役が近づいてくる危機感なんかない。ギリシャ軍だと悲劇は演出できるけど星の数ほどの大軍のイメージはないし。そんな入れ替えが楽しめる句だ。『季語きらり100』(2012)所収。(今井 聖)


September 2792012

 自転車を盗まれ祭囃子の中

                           山田露結

週、近所の社では秋祭りが行われる。「祭囃子」は歳時記では夏の祭の傍題になっているようだけど、なぜだろう。秋祭りだってぴーひゃらら、と笛、太鼓を鳴らすのだからいいような気がするのだが。神輿が出て、祭囃子も聞こえる人ごみの中で自転車を盗まれ、探し回る心細さ。「自転車泥棒」と言えば有名なイタリアの映画を思うのだけど、うんと小さいころに見たので記憶はおぼろげで雑踏の中で自転車を探してさまようシーンしか思い浮かばない。掲句は「故郷」と題された八句のうちの一句。「海沿いの小さな田舎町に住んでいる。田舎町だからといつて純朴な人たちばかりが暮らしているというわけはない。ここでもやはり人は傲慢で強欲で怠惰で憂鬱で、それゆえに美しいのである」と作者の言葉がある。この句もかの映画のワンシーンのような味わいがある。「彼方からの手紙」(vol.5・2012/8/18)所載。(三宅やよい)


September 2692012

 まず足の指より洗ふ長き夜

                           冨士眞奈美

浴して、人はからだのどの部分から順に洗うだろうか? もちろん人によってちがう。初めに「足の指より洗ふ」人はいつもそうなのか、あるいは秋の「長き夜」ゆえにたまたま順序を変えて、今夜はゆっくりと足の指から時間をかけて洗いましょう、というのかもしれない。「長き夜」と「足の指」が不思議とマッチしていることも見逃せない。せせこましくない、ゆったりとした秋の夜の時間がここには流れている。足の指はスマートで、きれいにそろっているような印象を受ける。私は数年前、ある女子短大生たちにアンケートの一つとして「入浴時、からだのどこから先に洗うか?」と問うてみたことがある。「髪から先に」という回答がいちばん多いので、ナルホドと納得したことがあった。眞奈美が七〇年代から現在までいくつかの句会に参加して、本格的に俳句と取り組んでいることはよく知られている。句集の読みごたえある「あとがき」に「句友とは言葉を仲立ちに感性を同じゅうしてあそぶ特別な仲間」と書き、虚実をとりまぜて楽しんでおられる様子である。別の句「逃水の向かふは絶壁かもしれず」などにも私は惹かれる。『瀧の裏』(2008)所収。(八木忠栄)




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