一度政権を放り出した人物を再度持ち上げる政党。人材難だな。(哲




2012N927句(前日までの二句を含む)

September 2792012

 自転車を盗まれ祭囃子の中

                           山田露結

週、近所の社では秋祭りが行われる。「祭囃子」は歳時記では夏の祭の傍題になっているようだけど、なぜだろう。秋祭りだってぴーひゃらら、と笛、太鼓を鳴らすのだからいいような気がするのだが。神輿が出て、祭囃子も聞こえる人ごみの中で自転車を盗まれ、探し回る心細さ。「自転車泥棒」と言えば有名なイタリアの映画を思うのだけど、うんと小さいころに見たので記憶はおぼろげで雑踏の中で自転車を探してさまようシーンしか思い浮かばない。掲句は「故郷」と題された八句のうちの一句。「海沿いの小さな田舎町に住んでいる。田舎町だからといつて純朴な人たちばかりが暮らしているというわけはない。ここでもやはり人は傲慢で強欲で怠惰で憂鬱で、それゆえに美しいのである」と作者の言葉がある。この句もかの映画のワンシーンのような味わいがある。「彼方からの手紙」(vol.5・2012/8/18)所載。(三宅やよい)


September 2692012

 まず足の指より洗ふ長き夜

                           冨士眞奈美

浴して、人はからだのどの部分から順に洗うだろうか? もちろん人によってちがう。初めに「足の指より洗ふ」人はいつもそうなのか、あるいは秋の「長き夜」ゆえにたまたま順序を変えて、今夜はゆっくりと足の指から時間をかけて洗いましょう、というのかもしれない。「長き夜」と「足の指」が不思議とマッチしていることも見逃せない。せせこましくない、ゆったりとした秋の夜の時間がここには流れている。足の指はスマートで、きれいにそろっているような印象を受ける。私は数年前、ある女子短大生たちにアンケートの一つとして「入浴時、からだのどこから先に洗うか?」と問うてみたことがある。「髪から先に」という回答がいちばん多いので、ナルホドと納得したことがあった。眞奈美が七〇年代から現在までいくつかの句会に参加して、本格的に俳句と取り組んでいることはよく知られている。句集の読みごたえある「あとがき」に「句友とは言葉を仲立ちに感性を同じゅうしてあそぶ特別な仲間」と書き、虚実をとりまぜて楽しんでおられる様子である。別の句「逃水の向かふは絶壁かもしれず」などにも私は惹かれる。『瀧の裏』(2008)所収。(八木忠栄)


September 2592012

 月見して月の匂ひの地球の子

                           鶴濱節子

月30日が仲秋の名月。翌日からは立待ち、居待ち、寝待ち、更待ちなど月待ちイベントが続く。しかし、上弦から夜ごとにふっくらとふくらんでいく十五夜を待つ数日にはなぜか名前はない。満月まで期待を込めて指折り数えるよりも、満月が欠けていく様子に風情を感じることにこそ、侘びや寂びの好みに叶うのだろう。中秋の満月を鑑賞する習慣は中国から伝来し、平安朝以降は観月とともに詩歌管弦の宴が盛んに催され、江戸時代になると、秋の収穫をひかえて豊作を願う農耕行事と結びつき、秋の味覚や団子を供えるようになったという。蛇足になるが、深川江戸資料館によると、月見団子の直径は6〜10センチとあった。さらに通常は12個、閏年は13個用意するのだという。それにしても掲句、月見という風雅な風習に唐突に地球が登場することがすてきだ。太陽系の惑星のひとつの星の住人としての月見なのである。月も地球も星の仲間であることを思い出させてくれた。『始祖鳥』(2012)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます