急に涼しくなったので、これまた身体がついていけない。やれやれ。(哲




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September 2692012

 まず足の指より洗ふ長き夜

                           冨士眞奈美

浴して、人はからだのどの部分から順に洗うだろうか? もちろん人によってちがう。初めに「足の指より洗ふ」人はいつもそうなのか、あるいは秋の「長き夜」ゆえにたまたま順序を変えて、今夜はゆっくりと足の指から時間をかけて洗いましょう、というのかもしれない。「長き夜」と「足の指」が不思議とマッチしていることも見逃せない。せせこましくない、ゆったりとした秋の夜の時間がここには流れている。足の指はスマートで、きれいにそろっているような印象を受ける。私は数年前、ある女子短大生たちにアンケートの一つとして「入浴時、からだのどこから先に洗うか?」と問うてみたことがある。「髪から先に」という回答がいちばん多いので、ナルホドと納得したことがあった。眞奈美が七〇年代から現在までいくつかの句会に参加して、本格的に俳句と取り組んでいることはよく知られている。句集の読みごたえある「あとがき」に「句友とは言葉を仲立ちに感性を同じゅうしてあそぶ特別な仲間」と書き、虚実をとりまぜて楽しんでおられる様子である。別の句「逃水の向かふは絶壁かもしれず」などにも私は惹かれる。『瀧の裏』(2008)所収。(八木忠栄)


September 2592012

 月見して月の匂ひの地球の子

                           鶴濱節子

月30日が仲秋の名月。翌日からは立待ち、居待ち、寝待ち、更待ちなど月待ちイベントが続く。しかし、上弦から夜ごとにふっくらとふくらんでいく十五夜を待つ数日にはなぜか名前はない。満月まで期待を込めて指折り数えるよりも、満月が欠けていく様子に風情を感じることにこそ、侘びや寂びの好みに叶うのだろう。中秋の満月を鑑賞する習慣は中国から伝来し、平安朝以降は観月とともに詩歌管弦の宴が盛んに催され、江戸時代になると、秋の収穫をひかえて豊作を願う農耕行事と結びつき、秋の味覚や団子を供えるようになったという。蛇足になるが、深川江戸資料館によると、月見団子の直径は6〜10センチとあった。さらに通常は12個、閏年は13個用意するのだという。それにしても掲句、月見という風雅な風習に唐突に地球が登場することがすてきだ。太陽系の惑星のひとつの星の住人としての月見なのである。月も地球も星の仲間であることを思い出させてくれた。『始祖鳥』(2012)所収。(土肥あき子)


September 2492012

 駆け出しと二人の支局秋刀魚焼く

                           小田道知

聞社の支局だろう。駆け出しの新人と作者との二人で、その地域をまかなっている。田舎の町の小さなオフィスで、昼餉のための秋刀魚を焼いている。もうこれだけの道具立てで、いろいろな物語が立ち上がってくるようだ。出世コースからは大きく外れた支局長の作者は定年間近であり、新人にいろいろなノウハウを教えてはいるが、若い彼は近い将来に、必ず手元を離れていってしまう。めったに事件らしい事件も起きないし、いざ起きたとなれば、街の大きな支社から援軍がやってくる段取りだ。新聞記者とはいいながら、あくせく過ごす日常ではない。そんな日常のなかだからこそ、「秋刀魚焼く」という行為がいささかの滑稽さを伴いながらも、鮮やかに浮き上がってくる。このとき、駆け出しの新人はどうしていただろうか。たぶん秋刀魚など焼いたこともないので、感心したようなそうでもないような複雑な顔をして、作者を眺めていたような気がする。小さな支局での小さな出来事。映画の一シーンにでなりそうだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)




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