余白句会会員近著。今井聖『部活で俳句』、八木幹夫『余白の時間』。(哲




2012N925句(前日までの二句を含む)

September 2592012

 月見して月の匂ひの地球の子

                           鶴濱節子

月30日が仲秋の名月。翌日からは立待ち、居待ち、寝待ち、更待ちなど月待ちイベントが続く。しかし、上弦から夜ごとにふっくらとふくらんでいく十五夜を待つ数日にはなぜか名前はない。満月まで期待を込めて指折り数えるよりも、満月が欠けていく様子に風情を感じることにこそ、侘びや寂びの好みに叶うのだろう。中秋の満月を鑑賞する習慣は中国から伝来し、平安朝以降は観月とともに詩歌管弦の宴が盛んに催され、江戸時代になると、秋の収穫をひかえて豊作を願う農耕行事と結びつき、秋の味覚や団子を供えるようになったという。蛇足になるが、深川江戸資料館によると、月見団子の直径は6〜10センチとあった。さらに通常は12個、閏年は13個用意するのだという。それにしても掲句、月見という風雅な風習に唐突に地球が登場することがすてきだ。太陽系の惑星のひとつの星の住人としての月見なのである。月も地球も星の仲間であることを思い出させてくれた。『始祖鳥』(2012)所収。(土肥あき子)


September 2492012

 駆け出しと二人の支局秋刀魚焼く

                           小田道知

聞社の支局だろう。駆け出しの新人と作者との二人で、その地域をまかなっている。田舎の町の小さなオフィスで、昼餉のための秋刀魚を焼いている。もうこれだけの道具立てで、いろいろな物語が立ち上がってくるようだ。出世コースからは大きく外れた支局長の作者は定年間近であり、新人にいろいろなノウハウを教えてはいるが、若い彼は近い将来に、必ず手元を離れていってしまう。めったに事件らしい事件も起きないし、いざ起きたとなれば、街の大きな支社から援軍がやってくる段取りだ。新聞記者とはいいながら、あくせく過ごす日常ではない。そんな日常のなかだからこそ、「秋刀魚焼く」という行為がいささかの滑稽さを伴いながらも、鮮やかに浮き上がってくる。このとき、駆け出しの新人はどうしていただろうか。たぶん秋刀魚など焼いたこともないので、感心したようなそうでもないような複雑な顔をして、作者を眺めていたような気がする。小さな支局での小さな出来事。映画の一シーンにでなりそうだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


September 2392012

 開き見る忘扇の花や月

                           山口青邨

扇(わすれおうぎ)は秋の季語。残暑もややおさまって、夏に使った扇子を一本一本、開いて見ているところです。扇子を使うのは外出先が多く、そこで会った人や話したこと、飲食の数々を、扇子はそのひだに折りたたみ記憶して、ややくたびれて一季節をまっとうし、用済みとなるところです。掲句はたぶん、エアコンがさほど普及していない時代の句ですから、ひと夏に使用する扇子の数も、T・P・O(時・所・目的)に合わせて幾種類も持ち合わせていたことでしょう。「開き見る」作者の所作から、落ち着きのある生活を感じとれ、鉱物学者であった青邨の整頓された書斎の机上に、扇子数本が置かれているとよみます。季節の区切れを整理する潔さ、句の中に「花・扇・月」、春夏秋の三季を織り込む洒脱、これは、春から中秋まで活躍した扇への愛着と惜別の句のように思われます。「新装・現代俳句歳時記」(2003・実業之日本社)所載。(小笠原高志)




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