iPhoneの地図。なぜこんなAppleらしくない粗悪品が出てきたのか。(哲




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September 2392012

 開き見る忘扇の花や月

                           山口青邨

扇(わすれおうぎ)は秋の季語。残暑もややおさまって、夏に使った扇子を一本一本、開いて見ているところです。扇子を使うのは外出先が多く、そこで会った人や話したこと、飲食の数々を、扇子はそのひだに折りたたみ記憶して、ややくたびれて一季節をまっとうし、用済みとなるところです。掲句はたぶん、エアコンがさほど普及していない時代の句ですから、ひと夏に使用する扇子の数も、T・P・O(時・所・目的)に合わせて幾種類も持ち合わせていたことでしょう。「開き見る」作者の所作から、落ち着きのある生活を感じとれ、鉱物学者であった青邨の整頓された書斎の机上に、扇子数本が置かれているとよみます。季節の区切れを整理する潔さ、句の中に「花・扇・月」、春夏秋の三季を織り込む洒脱、これは、春から中秋まで活躍した扇への愛着と惜別の句のように思われます。「新装・現代俳句歳時記」(2003・実業之日本社)所載。(小笠原高志)


September 2292012

 夕月の砂山に呼び出されたる

                           佐藤鬼房

日が旧暦八月七日、六日月ということなので、ここ数日の月がいわゆる夕月。ただでさえ夕暮れからしばらくしか見えないが、今年は台風の影響もありここまでなかなか遭遇できなかったのではないか。そんな夕暮れの砂山に呼び出されたのだ、なんだかどきどきする。見渡す限りの砂の上にあるのは二人の影とそれを見下ろす夕月、聞こえるのはひたすらな潮鳴りと、確かな人の息づかいだ。砂山を指で掘ったらまっかに錆びたナイフが埋まっていた、と歌っていたのは石原裕次郎だけれど、覆いつくしているようでいて、いつか風がすべてを晒してしまうかもしれない砂。絶えず動いているその砂の流れの果ては静かに濡れて、しんとした海にも育ちつつある月が漂っていることだろう。「新日本代歳時記 秋」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


September 2192012

 洞窟夜会 赤葡萄酒に 現世の声

                           伊丹公子

まれた地について知識などぬきにしてこの一句だけで見ると、「洞窟夜会」とはなんて素敵な造語だろう。岩肌が蝋燭の火で見えるような背景でのパーティだ。雪を掘って作ったかまくらの中に灯を置くのは日本版夜会。これと同じようなものか。異国だから着てるものも派手。肌の色と服の色と葡萄酒の赤がお似合いだ。こんなところに入りこんだらそれこそ夢か現かわけのわからない心境になるに違いない。声も外国の言葉で意味が不明なところが「現世の声」という違和感を誘発している。かまくらもいいけどこんな場所にも迷いこんでみたい。『伊丹公子全句集』(2012)所収。(今井 聖)




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