我が家の近所ではヒグラシが鳴きません。何故でしょう。(哲




2012ソスN8ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1982012

 月とるごと種まくごとく踊りけり

                           山口青邨

踊りです。徳島の阿波踊りや、富山県八尾の風の盆など、踊りながら練り歩く踊りは壮観ですが、掲句は、寺の境内や広場でやぐらを組んだ盆踊り会場のようです。そう判断するのは、表現から、身体の動きにぎこちなさを感じとれるからです。「月とるごと」で一度切れています。手本になる踊り手が、月を両手で取るごとく踊っていて、作者は、それを見よう見まねで動きをなぞっているのですが、すぐにはできない。やや動きが遅れる。上五を字余りにして「ごと」で切ったのは、踊りの輪に入ったときはまだ初心者で、動きがうまくいっていない状態を示しているように思われます。「月とる」動きに慣れてきて、今度は「種まくごとく」の動きにうつり、これは、ぴっ たり定型 に納まりました。身体もだんだん慣れてきて、手本の踊り手を見なくても、輪の中で、何度も何度も同じ所作を繰り返せる。楽しくなってきた。やや上気してきた。それが、「踊りけり」という実感のある納まりになっています。一句の中で、作者の身体の変化が伝わってくるようで、これも踊りの効用でしょうか。月をとったり、種をまいたり、これらの所作も風流で、花鳥風月を円環の輪の中で真似ぶ所作は、いとをかしです。「日本大歳時記・秋」(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


August 1882012

 ひらきたる花火へ開きゆく花火

                           岩垣子鹿

らきたる、は散りかけていて、開きゆく、は今まさに大輪。開きゆく花火、と読んでいる時には、ひらいた花火ははらはら散っている。縦書きの方がさらに感じが出るだろう。いずれにしても、ひらがなと漢字の視覚的効果の違いによって、花火そのものの有り様がとらえられている。さらにその二つの花火を、へ、がつなぐことで、瞬間の時間差も体感できる仕組みである。奈良県生まれ、戦後まもなく奈良医大俳句会で俳句と出会ったという作者の、最初で最後の句集『やまと』(2006)は〈もののけの遊ぶ吉野の春の月〉の一句で締めくくられている。(今井肖子)


August 1782012

 質問の多き耳順の新入生

                           廣川坊太郎

十にして耳順(したが)う。論語の中の言葉。この新入生は六十歳にして入学してきた。放送大学か通信教育のスクーリングか。入学の季節は春か秋か。そんなことはどっちでもいい。六十歳の新入生が先生に質問を繰返す。質問の多さはこの新入生の熱意をあらわす。わからないことは訊くのだ。肉体年齢の先は見えている。恥もひったくれもない。四十歳を過ぎてカルチャースクールにシナリオの書き方を習いに行ったことがある。課題に四苦八苦している同じような年齢の僕らに師が言った。「不思議だ。君たちはどうしてもっと焦らないのか」。やらなければならないことが山ほどある。どれから手をつけたらいいのかもわからないほどのとてつもない量だ。やってもやっても追いつかない。六十にもなって偉いねという句ではない。この生徒の切実さが身に沁みて哀しい。この句も面白うてやがて悲しきだ。「横浜俳句鍛錬会報・2012年6月」所載。(今井 聖)




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