August 152012
胃カメラをのんで炎天しかと生く吉村 昭今日は敗戦記念日。「8.15以後」という言葉・認識を日本人は永久に忘れてはならない。さらに、今や「3.11以後」も風化させてはなるまい。くり返される人間の歴史の愚かさを見つめながら、生き残った者たちは「しかと生」きなければならない。昭は五十歳の頃から俳句を本格的に作りはじめた。結核の闘病中でも俳句を読んで、尾崎放哉に深く感動していたという。掲句は検査か軽い病いの際に詠んだ句のようだが、炎天の真夏、どこかしら不安をかかえてのぞむ胃カメラ検査。それでも「しかと生く」と力強く、炎天にも不安にも負けまいとする並々ならぬ意志が表現されている。四回も芥川賞候補になりながら受賞できなかった小説家だが、そこいらの若造受賞作家などには太刀打ちできない、実力派のしっかりとした意志が、この句にはこめられているように思われる。胃カメラ検査は近年、咽喉からでなく鼻腔からの検査が可能になり、とてもラクになった。昭には他に「はかなきを番(つがひ)となりし赤蜻蛉」があり、死後に句集『炎天』(2009)がまとめられた。(八木忠栄) August 142012 新盆や死者みな海を歩みくる小原啄葉作者は盛岡市在住。昨年の大震災に対して「実に怖かった」のひとことが重く切ない。掲句は津波で失った命に違いないが、生命の根幹を指しているようにも思う。海から生まれ、海へと帰っていった命の数にただただ思いを馳せる。迎え火から送り火まで、盆行事には愛に溢れた実に丁寧なシナリオがある。精霊馬にも水を入れた盃を入れた水飲み桶を用意したり、お送りするときにはお土産のお団子まで持たせる。今年は縁あって福島県いわき市の「じゃんがら」に行く機会を得た。鉦や太鼓を打ち鳴らしながら新盆の家々を廻る踊り念仏である。新盆は浄土からこの世へと戻る初めての道のりのため、故人が迷うことのないよう、高々と真っ白い切子灯籠を掲げる土地もある。お盆とは、姿が見えないだけで存在はいつでもかたわらにあることを思い願うひとときであることを、あらためて胸に刻む。『黒い浪』(2012)所収。(土肥あき子) August 132012 画集見る少女さやかに遠ち見たる伍藤暉之ど
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