午後は墓参りに。我が家の墓をつくってから最初のお盆がくる。(哲




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August 1282012

 なでしこよ河原に石のやけるまで

                           上島鬼貫

島鬼貫(うえしま・おにつら)は、「まことの外に俳諧なし」と悟り、同時代の芭蕉に深く影響を与えました。「なでしこよ」と、呼びかけの間投詞「よ」を用いて、「なでしこ」への親愛の情を率直に示しています。「河原に石のやけるまで」は、梅雨が明けた七月、八月の炎暑のなかで、花、開く姿でしょう。夏の花、なでしこは、過酷な条件の中で咲いています。図鑑によると、日本の撫子は四種類あります。カワラナデシコ・ハマナデシコ・タカネナデシコ・ミヤマナデシコ。この夏、ロンドンでも、キャプテン・宮間なでしこたちが、芝生にボールの焼けるまで、存分に活躍してくれました。沢から流れ落ちる岩清水の川は澄み、宮間の大野に大和撫子は咲き乱れました。「なでしこジャパン」。当初は、この命名に戸惑いましたが、今や立派な花です。男子チームの活躍もあっぱれです。サッカーを見ていて、これは、鬼ごっこだな、と思いました。ニッポンのこどもたちが、世界の鬼ごっこで活躍できているのをみると、夏以上に熱くなります。なでしこよ、ニンジャたちよ、ありがとう。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


August 1182012

 さざなみの形に残る桃の皮

                           金子 敦

本古来の桃の実は小粒で、産毛が密生していて毛桃と呼ばれ〈苦桃に戀せじものと思ひける〉(高濱虚子)などと詠まれているが現在、桃といえば白桃、色といい形といい、はにかむように優しく、甘くてみずみずしい果実の代表だ。その皮は、実が少し硬めだと果物ナイフで、熟していると指ですうっとはがすように剥けるが、この句の場合はナイフで剥いたのだろう。皮の薄さとところどころに残る果実の水気で、林檎や梨とは違う静けさを持って横たわる皮、そこにさざなみの形を見る感覚は、桃の果実同様みずみずしい。〈無花果の中に微細な星あまた〉〈なんでもないなんでもないと蜜柑むく〉など果物をはじめ、食べ物の佳句が印象的な句集『乗船券』(2012)より。(今井肖子)


August 1082012

 アッツの照二仔猫をまこと怖がりし

                           野宮猛夫

ッツの照二だけで、第二次大戦で日本軍が全滅したアッツ島にいた照二という兵隊であることが思われる。それ以外の展開はアッツの照二から僕は想像できない。最後の一兵まで突撃して生存者は1パーセント。だから屈強の兵だったことだろう。そのつわものが仔猫を怖がった。面白い。面白いが悲しい。おもしろうてやがて悲しきである。ほんとうに照二さんはいたのだろう。フィクションだったら山田洋次になれる。この句に並んで同じ作者の「くつなわ首に捲く照三も野に逝けり」がある。くつなわはくちなわのこと。自身の北海道訛がそのまま句になった。この二句がある限り照二と照三は忘れられることはない。確かに二人はこの世界に存在したと、読む者が確認する。「週刊俳句」(2011年4月24日号)所載。(今井 聖)




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