八月。百日紅が咲きはじめた。暑さをしぶとく盛り上げる花だ。(哲




2012ソスN8ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0182012

 鰻屋の二階客なき焼け畳

                           矢野誠一

を扱った落語はいろいろある。「鰻の幇間(たいこ)」は調子のいい幇間が、路上で行きあった旦那(幇間には誰だか思い出せない)に冴えない鰻屋に誘われ、最後はとんでもないことになるという傑作。通された二階の座敷には、直前まで店の婆さんが昼寝していたり、窓にオムツが干してあったり、床の間の掛軸は二宮金次郎の絵、酒盃の絵は日章旗と軍旗のぶっ違いだったり、キツネとタヌキが相撲を取っていたり、お新香は薄切りで肝腎の鰻は硬くて噛み切れない……畳も焼けてしまっているだろう。落語評論家でもある誠一は、そんな「鰻の幇間」をどこかにイメージして詠んだのかもしれない。こぎれいでよく知られた老舗などとは、およそほど遠い風情を物語る「焼け畳」。いや、ともすると絶品の鰻をもてなす隠れた店なのかもしれないし、客も少ないから畳は焼けたまま、それを取り替える気配りもやる気もない店なのかもしれない。今年の「土用の丑の日」は七月二十七日だった。平賀源内か太田南畝が考えた出した風習だ、という伝説がある。先頃、アメリカがワシントン条約により、鰻の国際取引の規制を検討しているというニュースが報じられた。ニッポンやばい! ならばというので、賢いニッポン人が、サンマやアナゴ、豚バラ肉の蒲焼きを「代替品」として売り出し人気を呼んでいるらしい。そんなにしてまで鰻にこだわるかねえ? 誠一の夏の句に「趣味嗜好昼寝の夢も老いにけり」がある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


July 3172012

 踵より砂に沈みて涼しさよ

                           対中いずみ

んざりするほど暑い日が続くと、句集を開くときでさえ、わずかな涼感を求めるようにページを繰る。不思議なことにそんなときには吹雪や凩の句ではなく、やはり夏季の俳句に心を惹かれる。遠く離れた冬ではあまりにも現実から離れすぎてしまうためかもしれない。掲句には奥深くを探る指先にじわりとしみるような涼を感じた。人間が直立二足歩行を選択してから、踵は身体の重さを常に受け止める場所となった。細かい砂にじわじわと踵が沈む感触は、地球の一番やわらかい場所に身体を乗せているような心地になる。あるいは、波打際に立ったときの足裏の、砂と一緒に海へと運ばれてしまうようなくすぐったいような悲しいような奇妙な感触を思い出す。暑さのなかに感じる涼しさとは、どこか心細さにつながっているような気がする。〈ひらくたび翼涼しくなりにけり 前書:田中裕明全句集刊行〉〈この星のまはること滝落つること〉『巣箱』(2012)所収。(土肥あき子)


July 3072012

 人文字を練習中の日射病

                           山本紫黄

射病という言葉だけは子どもの頃から知っていたが、本当に日射病で倒れる人がいることを知ったのは、高校生になってからだった。朝礼の時間に、ときどき女生徒がうずくまったりして「走り寄りしは女教師や日射病」(森田峠)ということになった。ちょうどそういう年頃だったせいなのだろうが、太陽の力は凄いんだなと、妙な関心の仕方をしたのを覚えている。甲子園のスタンドなどでよく見かける「人文字」は、一糸乱れぬ連携が要求されるから、たった一人の動きがおかしくても、全体が崩れてしまう。つまり、日射病にやられた生徒がいれば、遠目からはすぐにわかるわけだ。作者には練習中だったのがまだしもという思いと、本番に向けて留意すべき事柄がまた一つ増えた思いとが交錯している。似たような光景を私は、甲子園の開会式本番で目撃したことがある。入場行進につづいて選手が整列しおわったときに、最前列に並んだ某高校のプラカードが突然ぐらりと大きく傾いた。すぐさま係員が飛んできて別の生徒と交代させたのだが、暑さと緊張ゆえのアクシデントだった。たしか荒木大輔が出場した年だったと思うが、あのとき倒れた女生徒は、毎夏どんな思いで甲子園大会を迎えているのだろうか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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