昨夜の甲子園不入り。阪神の不調と五輪のダブルパンチだ。(哲




2012N730句(前日までの二句を含む)

July 3072012

 人文字を練習中の日射病

                           山本紫黄

射病という言葉だけは子どもの頃から知っていたが、本当に日射病で倒れる人がいることを知ったのは、高校生になってからだった。朝礼の時間に、ときどき女生徒がうずくまったりして「走り寄りしは女教師や日射病」(森田峠)ということになった。ちょうどそういう年頃だったせいなのだろうが、太陽の力は凄いんだなと、妙な関心の仕方をしたのを覚えている。甲子園のスタンドなどでよく見かける「人文字」は、一糸乱れぬ連携が要求されるから、たった一人の動きがおかしくても、全体が崩れてしまう。つまり、日射病にやられた生徒がいれば、遠目からはすぐにわかるわけだ。作者には練習中だったのがまだしもという思いと、本番に向けて留意すべき事柄がまた一つ増えた思いとが交錯している。似たような光景を私は、甲子園の開会式本番で目撃したことがある。入場行進につづいて選手が整列しおわったときに、最前列に並んだ某高校のプラカードが突然ぐらりと大きく傾いた。すぐさま係員が飛んできて別の生徒と交代させたのだが、暑さと緊張ゆえのアクシデントだった。たしか荒木大輔が出場した年だったと思うが、あのとき倒れた女生徒は、毎夏どんな思いで甲子園大会を迎えているのだろうか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 2972012

 橋おちて人岸にあり夏の月

                           炭 太祇

太祇(たんたいぎ)は江戸に育ちました。四十歳を過ぎて京都に上り、島原の遊郭内に不夜庵を結び、晩年は、しばしば蕪村と交わっています。梅雨出水(つゆでみず)で落ちた橋を、百メートル以上のスケールとして読んでみると、物見高い見物衆も、祭りや花火に集うようなそぞろ歩きです。橋が落ちた自然災害を深刻にとらえず、夕涼み恰好の風物にしてしまうところに、江戸時代の浮世を感じます。大雨の後の空は澄み切って、月は皓皓と涼しげです。この時代、物は簡 単に壊れるものでした。というよりも、壊れうるものだという覚悟がありました。それは、人力で組み立てた木橋には、しょせん、大水にはかなわない諦めがあったからでしょう。奈良時代、すでに無常を「飛鳥川の淵瀬」にたとえています。それが、平安末期、鴨長明になると「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」(方丈記)となり、江戸の掲句では「人岸にあり」という集団描写になって、無常を見物にしてしまっています。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


July 2872012

 炎天のふり返りたる子どもかな

                           藤本美和子

天の句でありながら不思議と、ぎらぎらと暑くてどうしようもないという感覚よりも、ふり返ったその子の背景にいつか見た青空と雲の峰が広がってくるような、なつかしさ感じさせる。切り取られた一瞬から遠い風景が思い起こされるのは、炎天の、の軽い切れのためか、ふり返る、という言葉のためか、夏という季節そのもののせいなのか。同じ作者に〈炎天のかげりきたれる辻回し〉という祇園祭を詠んだ句もあり、こちらはまさに酷熱の日中の空、昨年訪れた祇園祭の熱気と活気を思い出させる。いずれの句にも、確かな視線から生まれた饒舌でない投げかけが、余韻となってじんわりと広がってくるのを感じる。『藤本美和子句集』(2012)所収。(今井肖子)




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