都市対抗野球。岐阜の大日本土木とか別府星野組とか、懐かしいな。(哲




2012ソスN7ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2072012

 凍死体運ぶ力もなくなりぬ

                           原田 喬

んざりするほど暑い日が続くと、句集を開くときでさえ、わずかな涼感を求めるようにページを繰る。不思議なことにそんなときには吹雪や凩の句ではなく、やはり夏季の俳句に心を惹かれる。遠く離れた冬ではあまりにも現実から離れすぎてしまうためかもしれない。掲句には奥深くを探る指先にじわりとしみるような涼を感じた。人間が直立二足歩行を選択してから、踵は身体の重さを常に受け止める場所となった。細かい砂にじわじわと踵が沈む感触は、地球の一番やわらかい場所に身体を乗せているような心地になる。あるいは、波打際に立ったときの足裏の、砂と一緒に海へと運ばれてしまうようなくすぐったいような悲しいような奇妙な感触を思い出す。暑さのなかに感じる涼しさとは、どこか心細さにつながっているような気がする。〈ひらくたび翼涼しくなりにけり 前書:田中裕明全句集刊行〉〈この星のまはること滝落つること〉『巣箱』(2012)所収。(土肥あき子)


July 1972012

 暑からむいとしこひしの大阪は

                           守屋明俊

の間オリエンタルカレーの懐かしのパッケージを見つけて思わず買ってしまった。その昔、日曜日の昼と言えばオリエンタルカレー提供の「がっちり買いまショウ」を見ていた。いとし、こいしが司会だった。当時は物足りなかったけど、二人にはやすし、きよしのようなしゃべくり漫才にはない大人の味わいがあった。大阪の暑さは格別で、奥坂まやの句にも「大阪の毛深き暑さ其れを歩む」という句がある。湿気が高くてそよりとも風の吹かない大阪の夏はむうっと息が詰まる暑さだ。しかし掲載句は「暑からむ」と推定になっている。大阪から遠くに離れ、今はいない「いとしこいし」の洒脱な漫才を想うように大阪の粘る暑さを懐かしく思っているのだろう。今年の大阪も暑いだろうか。京都の夏、名古屋の夏、東京の夏、それぞれの都市に似合いの人や事柄を取り合わすことで暑さの受け取り方も変わってきそうだ。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)


July 1872012

 女等昼寝ネオンの骨に蝉が鳴く

                           ねじめ正也

者のことを最初に明かしてしまえば、ねじめ正一のお父さんである。もう知られているように、乾物屋さんの店主だった。(正一『高円寺純情商店街』参照)商いとはいえ暑い夏には、朝が早い人はかつてよく昼寝をしたものだ。個人商店だから「女等」と言っても、妻や女店員だろう。せいぜい二人くらいだと思われるけれど、商店街のお隣もお向かいも同じように女性たちが、ごろりと束の間の昼寝をむさぼっているのかもしれない。昼間のネオンは用無しで間抜けである。「ネオンの骨」という見立てがおもしろい。その支柱にとまっている蝉がやおら鳴き出したけれども、女たちは起きそうもないし、主人も起こさない。主人である作者は女たちと蝉の声を気にしながら、店番をしながらぽつねんとしているのだろう。夏の昼下がりの商店街の無聊が、のんびりと感じられてくるようだ。昼寝と白昼のネオン、しばし手持ち無沙汰の主人……蝉の声も、どこかしらのんびりとしか聞こえてこない。正也のただ一冊の句集『蠅取リボン』は正一ら子どもたちからのプレゼントだった。清水哲男編『「家族の俳句」歳時記』(2003)所載。(八木忠栄)




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