経験したことのない大雨。九州のみなさまにお見舞い申し上げます。(哲




2012ソスN7ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1372012

 河尽きる灯のあるところ夜具のべられ

                           林田紀音夫

ームレスの人の様子に見える。河尽きるは海辺ということだろう。考えてみれば日本の都市のほとんどは海辺にある。海に囲まれた国ですからね。このごろ話題の生活保護費の不正受給の人なんかよりホームレスの人はどこか誠実に思える。そもそも住所不定では生活保護も受けられない。少し前だったか、新入社員研修で路上で何日か寝起きすることを課した会社があった。人の足元からの目線が営業においては大切だというような理屈だったような。俳人も路上吟行と称して人間と情況のウオッチングなんかも現在に深く切り込めるかもしれない。「俳句界」(2008年6月号)所載。(今井 聖)


July 1272012

 蛍の夜右が男の子の匂ひ

                           喜田進次

もとっぷり暮れて、あたりは真っ黒な闇に包まれてゆく。青白い火が一つ瞬いて、気がつけばあちらにもこちらにも蛍が見えてくる。胸のあたりに並んだ子供の頭がときどき揺れて、汗ばんだ身体や髪から日なたくさい匂いが上がってくる。右側にいるのが男の子だろうか。普段は意識しないけど、そうやって比較すれば女の子の方が涼しげな匂いがしそうな気がする。暗闇にたたずみ蛍に見入っていると闇にいる動物のように五感が鋭くなり、匂いに敏感になるのかもしれない。こんな句を読むと、息をつめて川岸の蛍を見つめている雰囲気がまざまざとよみがえってくる。歓声を交えてざわめく人の声や、湿った草いきれ、川のせせらぎまで聞こえてきそう。今も、蛍は飛び交っているだろうか。いっぱいの蛍が群れてクリスマスツリーのように光る樹を見に行きたい。「家に着くまで夏雲の匂ふなり」「銀行の前がさびしき天の川」『進次』(2012)所収。(三宅やよい)


July 1172012

 紙コップとぶ涼しさや舟遊び

                           吉屋信子

火、お祭り、ナイター、夜釣り……納涼のための楽しみや遊びはいろいろある。なかでも、川であれ、海であれ、舟を出しての舟遊びは格別である。しばし世間のしがらみとは断ち切られた、一種独特の愉楽を伴っている。気の合う連中でワイワイと酒肴を楽しみながら、時間がたつのも忘れてしまう。ビールや冷酒をついだ紙コップが、客のあいだをせわしなく飛びかっている。しかし、時代とともに「舟遊び」などという結構な心のゆとりは、次第に失われつつあるようだ。掲句の軽快さは舟遊びの軽快さでもあろう。その昔のお大尽たちは昼頃から舟を出し、歌舞音曲入りで暁にまで及んだものだという。もう十数年前、浅草の吾妻橋のたもとから乗合いの屋形舟で隅田川をくだり、幇間の悠玄亭玉介のエッチなお座敷芸を楽しみながら、お台場あたりまで往復するひとときを満喫したことがあって、忘れられない。屋形舟で友人の詩集出版記念会を企画実施したこともあった。春は桜、夏は納涼、秋は月、冬は雪、と四季の贅沢が楽しめる。護岸と野暮なビル群のせいで、もはや風情はないけれど。信子は「灰皿も硝子にかへて衣更へ」など多くの俳句を残した。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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