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July 0272012

 七月を歩き出さむと塩むすび

                           高木松栄

月に入った。まもなく暑い日々がやってくる。それなりの覚悟を決めて、この月を乗り切らねばならぬ。そのためにはまず、何はともあれ腹ごしらえだと、「塩むすび」を頬ばっている。「塩むすび」とはまた懐かしい響きだが、まだ冷房が普及していなかったころの句だろうか。だとすれば、粗食の時代でもあった。だからこの句は、昔の生活感覚を共有できる読者でないと、理解できないだろう。いまの若い人には、なぜ腹ごしらえなのか、なぜ塩むすびなのかが、観念的にはわかるかもしれないが、生活感覚的に当然だと受けとめることは不可能に近いはずだ。したがって、こういう句は、今後は作られることはないだろう。第一、「塩むすび」に代わり得る食品がない。パンでも駄目だし、ラーメンでも駄目。かつての「塩むすび」のように、それだけで時代のありようを集約できる食べ物は、もうないのである。こんな平凡なことが私たちにとって、そして俳句にとっても、意外に大きな意味を持っていることに、あらためて驚かされる。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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