大飯原発の再稼動は、今夜の予定。戦後最悪の政治判断だ。(哲




2012ソスN7ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0172012

 髪に櫛とほりよき朝夏燕

                           鈴木真砂女

(げん)のいい朝の句です。黒髪の真砂女は、櫛の通りのよさに気分をよくしています。それは体調のよさの表れでもあり、それ以上に、女としての艶のよさを自覚するよろこびでもあるでしょう。銀座で小料理屋を営んでいた女将ですから、朝から仕込みは始まっています。活きのよい肴を出すと同じく、酔客に、粋な自身を差し出す準備。長く、秘めて激しい恋情を抱き続けたこの作者にふさわしい、意地と媚態と潔さをも感じるのは、僭越でしょうか。九鬼周造は、この三位一体の表れが粋であると論じています(『いきの構造』)。ツバメは五月頃に飛来し、カラスやヘビに襲われにくい民家の軒下などに巣を作り、うまく、人の暮らしと共存して卵を産み、子を育て、 七月頃に は旅立ちます。その家づくり、子育ても、そして飛ぶ姿にもスピードがあります。髪に櫛の通りのよさ、夏燕のはやさ。ここに、淀みのない商売の吉兆を占ったのでしょう。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


June 3062012

 日本の水は美し髪洗ふ

                           藤浦昭代

時記に、行水、髪洗ふ、と並んでいるのを見ると、夕風にたらいの風情。髪洗ふ、とは、浴衣を肩が見えるくらい下ろして長い黒髪を洗うのであり、決してシャワーの前で仁王立ちしてはいけない。そう考えると現在は、髪を洗うこと自体には夏の季感は乏しいかもしれないが〈洗ひ髪夜空のごとく美しや〉(上野泰)の句の艶やかな黒髪には、今も体感できる夏の夜風が心地よく吹いている。掲出句、美しい水で洗われている黒髪もまた美しいのだろう。水で洗う、ということは当たり前でありながら、美しい水で髪を洗う、という表現は新鮮であり、日本人は美しく豊かな水に恵まれて暮らしてきたのだ、とあらためて思うと同時に、それを自らの手で脅かしてしまう愚かさを思う。『りんどう』(2012)所収。(今井肖子)


June 2962012

 流れに沿うて歩いてとまる

                           尾崎放哉

々に沿って歩いてきました、または歩いていきました、くらいが大方の詩想。凡庸な作家はここまでだ。「とまる」が言えない。行きにけり、歩きけり、流れけり。みんな流して終る。「春水と行くを止むれば流れ去る」誓子の句の行くの主語は我、流れ去るのは春水。二者の動きを説明した誓子に対して放哉は我の動きを言うだけで水の動きも言外に出している。放哉の方が上だな。『大空』(1926)所収。(今井 聖)




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