季節外れの台風が通り過ぎた東京地方。今朝はよく晴れてます。(哲




2012ソスN6ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2062012

 一つ蚊を叩きあぐみて明け易き

                           笹沢美明

の消え入るような声で、耳もとをかすめる蚊はたまらない。あの声は気になって仕方がない。両掌でたやすくパチンと仕留められない。そんな寝付かれない夏の夜を、年輩者なら経験があるはず。「あぐ(倦)みて」は為遂げられない意味。一匹の蚊を仕留めようとして思うようにいかず、そのうちに短夜は明けてくる。最も夜が短くなる今頃が夏至で、北半球では昼が最も長く、夜が短くなる。「短夜」や「明け易し」という季語は今の時季のもの。私事になるが、大学に入った二年間は三畳一間の寮に下宿していたので、蚊を「叩きあぐ」むどころか、戸を閉めきればいとも簡単にパチンと仕留めることができて、都合が良かった。作者は困りきって掲句を詠んだというよりは、小さな蚊に翻弄されているおのれの姿を自嘲していると読むことができる。美明は、戦前の有力詩人たちが拠った俳句誌「風流陣」のメンバーでもあった。「木枯紋次郎」の作者左保の父である。他に「春の水雲の濁りを映しけり」という句がある。虚子には虚子らしい句「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


June 1962012

 船ゆきてしばらくは波梅雨の蝶

                           柴田美佐

航する船を見送るシーンにカラフルなテープを投げ交わす光景は、いつ頃から始まったのかと調べてみると、1915年サンフランシスコで開催された万国博覧会に紙テープを出品した日本人から始まっていた。この頃既に布リポンがあったため大量に売れ残った色とりどりの紙テープを「船出のときの別れの握手に」と発案し、世界的な習慣になったという。行く人と残る人につながれたテープは、船出とともに確かな手応えとなって別れを演出する。陸を離れる心細さを奮い立たせるように、色とりどりのテープをまといながら船は行く。掲句にテープの存在は微塵もないが、船と陸の間に広がる波を見つめる作者の視界に入ってきた梅雨の蝶の色彩は、惜別に振り合った手のひらからこぼれたテープの切れ端のようにいつまでも波間に揺れる。〈啓蟄や木の影太き水の底〉〈小春日やこはれずに雲遠くまで〉『如月』(2012)所収。(土肥あき子)


June 1862012

 女にも七人の敵花ユッカ

                           近江満里子

花ユッカ
戸時代からの諺に曰く、「男は閾を跨げば七人の敵あり」。男が社会に出て大人として活動すれば、常に多くの敵ができるものであるという意だが、作者は「女」も同様ですよと言っている。昔の人が読んだらびっくりするだろうが、いまの私たちには「さもありなん」と違和感は覚えない。世の中は、すっかり変わってしまったのだ。では、何故「花ユッカ」との取り合わせなのだろうか。間違っているかもしれないが、私は作者の持つ女性観のひとつだと解釈した。美人をたとえて「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」と言うが、これと同じことだ。つまり女には「花ユッカ」みたいなところがあるというわけである。公園などに植えられるこの花は、まことにおだやかな感じの白くて大きい花房を高くかかげる。だが、写真でお分かりのように、下の葉は剣先のような鋭い形状をしており、おだやかな花の雰囲気とは似ても似つかない。英名では「スペインの小刀」と言うくらいで、不気味なたたずまいである。しかもこの花は初夏と秋の二度咲きで、なかには越年して咲きつづけるものもあるそうな。女の敵の女は、かくのごとくにしつこくて執念深いというわけだ。なんだか、男の七人の敵のほうが可愛らしくヤワに思えてくる。『微熱のにほひ』(2012)所収。(清水哲男)




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