「内閣改造」という名の厄介払いですね。なんだかなあ。(哲




2012ソスN6ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0562012

 六月や草より低く燐寸使ひ

                           岡本 眸

の生活で燐寸(マッチ)を使う機会を考えてみると、蚊取線香とアロマキャンドルくらいだろうか。先日今年初の蚊取線香をつけたが、久しぶりで力加減がわからず、何本も折ってしまった。以前は小さな家を「マッチ箱」とたとえたほど生活に密着し、あるいは「マッチ売りの少女」の売り物は、余分に持っていても使い勝手はあるごく安価な日常品としての象徴だった。その生活用品としてのマッチと認識したうえで、掲句の「草より低く」のなんともいえない余韻をどう伝えたらよいのだろう。煙草などの男の火ではない、女が使う暮らしのなかの火である。マッチは、煮炊きのための竈に、あるいは風呂焚きに、風になびかぬよう、静かな炎をつないでいく。そして、燃えさしとなったマッチの軸も、そのなかへと落し、鼻先に燃えるあかりを育てるのだ。幾世代にも渡って女の指先から渡してきた炎のリレーが自分の身体にもしみ込んでいるように、何本も失敗したマッチをこすった後の、つんと残る硫黄の匂いが懐かしくてならなかった。『流速』(1999)所収。(土肥あき子)


June 0462012

 木の匙に少し手強き氷菓かな

                           金子 敦

の食堂などに「氷」と書かれた小さな幟旗が立つ季節になった。かき氷だが、句の氷菓はコンビニなどで売られているカップ入りのアイスクリームやシャーベットである。買うと、木の匙をつけてくれる。最近ではプラスチック製の匙もあるけれど、あれは味気ない気がして好きじゃない。この木の匙はたいがい小さくて薄っぺらいから、ギンギンに冷えているアイスクリームを食べようと思っても、少し溶けてくるまでは崩そうにも崩せない。句はそのことを「手強い」と言っているのだ。でも、作者はその手強さに困っているわけではなく、むしろ崩そうとしてなかなか崩れない感触を楽しんでいる。夏の日のささやかな楽しみは、こういうところにも潜んでいるわけだ。蛇足だが、木の匙の材質には白樺がいちばん適当らしい。白樺には、ほとんど独自の匂いがないからだそうだ。『乗船券』(2012)所収。(清水哲男)


June 0362012

 勇魚捕る船や遠見の大瀑布

                           尾崎青磁

上の船から遠望できる大瀑布(だいばくふ)=大きな滝は、紀州和歌山の那智の滝と思われます。那智の滝は、飛瀧(ひろう)神社の御神体です。鳥居の向こうに拝殿はなく、参拝者は、数十メートル先の那智の滝をじかに拝みます。那智の滝の涸れる時は、この世の終わる時、という言い伝えがありますが、たしかに、滝の周囲の熊野古道の森も、生物も、人間も、水が涸れてしまえば生きられません。これは、日本各地で太古から続く自然信仰のもっともわかりやすい姿です。勇魚捕る(いさなとる)は、万葉集では「鯨魚取」と表記され、海にかかる枕詞として用いられていますが、掲句は、実際のカツオ・マグロ漁のことでしょう。紀州勝浦港から熊野灘に出た漁師たちが 、山あいから落ちる 那智の滝を遠くに見て、また、見守られて漁をしている姿です。生きる糧をじかに手でつかみ取り、漁の安全を大瀑布からじかに見守られている営みを、作者は、熊野那智大社の隣、青岸渡寺あたりから遠望していたのではないでしょうか。その視線は、はるか万葉時代よりも先に遡る、遠いまなざしになっているのかもしれません。那智の滝は、那智川となり、那智湾へと注いで海になります。蛇足ですが、この近くで、博物学者・南方熊楠は、粘菌類の発見と写生に没頭しました。つねに、携帯用の顕微鏡と画材を持って森を歩いていたそうです。「現代俳句歳時記・夏」(2004学研)所載。(小笠原高志)




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