コンビニ弁当に「和風幕の内」とあった。もともと和風なんですが。(哲




2012ソスN5ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2952012

 かかへくるカヌーの丈とすれちがふ

                           藤本美和子

ヌーが季語として認知されているかは別として、ヨットやボートと同じく夏季、ことに緑したたる初夏がふさわしい。万緑を映した川面を滑るように進む姿には、なんともいえない清涼感がある。人間ひとりを収め、水上にすっきりと浮いているカヌーも、陸にあがれば意外に大きいものだ。カヤック専門店のオンラインストアで確認すると、軽くてコンパクトと書かれる一人乗りカヌーの全長が432センチとあり、たしかに思っていたよりずっと長い。水辺まで運ばれる色鮮やかなカヌーに気づいてから、長々と隣り合い、その全長をあらためて知る作者は、水上の軽やかな姿とは異なる、思いがけない一面を見てしまったような困惑もわずかに感じられる。水の生きものたちが、おしなべて重量を気にせず大きくなったものが多いことなどにも思いは及んでいくのだった。〈新しき色の加はる金魚玉〉〈たそがれをもて余しをる燕の子〉『藤本美和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)


May 2852012

 ビールないビールがない信じられない

                           関根誠子

えっ、そりゃ大変だ。どうしよう。ビール好きだから、ビールの句にはすぐに目が行く。たしかに買っておいたはずのビールが、「さあ、飲みましょう」と冷蔵庫を開けてみたら、見当たらない。そんなはずはないと、もう一度奥のほうまで確かめてみるが、影も形もない。そんな馬鹿な……。どうしたんだろう、信じられない。作者の狼狽ぶりがよくわかる。同情する。ビールという飲み物は、飲みたいと思ったときに、冷たいのをすぐに飲めなければ意味がない。精神的な即効性が要求される。そんなビールの本性を、この句はまことに的確に捉えている。「酒ない酒がない…」では、単なるアル中の愚痴にしかならないが、ビールだからこその微苦笑的ポエジーがにじみ出てくる佳句だ。念のためにいま我が家の冷蔵庫をのぞいたら、ちゃんとビールが鎮座していた。あれが今宵、まさか消えてしまうなんてことはないだろうね。『季語きらり100 四季を楽しむ』(2012)所載。(清水哲男)


May 2752012

 愛憎や指に振子のさくらんぼ

                           山本花山

とえば、男と女が大喧嘩をして、男が出て行ったあと、女はさくらんぼの芯を指でつまみ、振り子のようにもてあそんでいます。愛憎という情動の振り子には、じつはさくらんぼと同じように噛めば甘く、しかし噛み切れない種があります。それは、吐き捨てられることもあれば、土に播かれて芽を出すこともあるでしょう。人の愛憎が、一粒のさくらんぼと同じ重みをもつ程ならば、すこし心が軽くなります。俳句に「愛憎」という言葉は通常使いませんが、「や」で切ったあと、「指」で爆発していた情動を小さくして、「振子」で熱を冷まし、「さくらんぼ」で浄化して、定型に納まりました。掲句でもし、女が指でさくらんぼをもてあそんでいるならば、掌中の珠のように、二人の関係の主導権を握っているということでしょうか。男からすれば、ちょっと困った解釈になってしまってどーもすいません。「現代俳句歳時記・夏」(2004・学研)所載。(小笠原高志)




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