「俳句」6月号の付録にルーペが。読者年齢の高さが伺われる。(哲




2012ソスN5ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2652012

 身勝手の叔母と薄暑の坂下る

                           塚原麦生

暑や残暑は、やれやれという暑さだけれど、薄暑は、うっすら汗ばむこともあるくらいの初夏の暑さなので、その時の心情によって感じ方が違うのかもしれない。掲出句、身勝手という一語に、困ったもんだなあ、という小さいため息が聞こえてきて、ちょっとうっとおしい汗をかいているのかもと思ったが、ふと友人の叔母上の話を思い出した。彼女と友人の母上は、芸術家肌で自由奔放な妹ときっちりと真面目な姉、という物語になりそうな姉妹。友人が子供の頃、叔母上は近所の腕白坊主の集団の先頭に立ってガキ大将のようだったという。仕事も恋も浮き沈み激しく、家族や親戚にとってはいささか悩みの種だったというが、友人は彼女が大好きで、長い一人暮らしの間も一人暮らしができなくなってからも近くで過ごし、最期を看取った。母親ほど絶対的でない叔母、親子とも他人とも違う距離感の叔母と甥。身勝手な、ではなく、身勝手の、だから少し切れて、この叔母上も愛されているのだろう。そう思うと、心地よい薄暑の風が吹いてくるようだ。「図説大歳時記・夏」(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


May 2552012

 眉に闘志おおと五月の橋をくる

                           野宮猛夫

志、真面目、努力、素朴、根性、正直、素直。こんな言葉に懐かしさを感じるのは何故だろう。あまり使われなくなったからだろう。使うとどこか恥ずかしいのは言葉が可笑しいのか恥ずかしがる方がひんまがっているのか。男が「おお」と手を挙げて橋のむこうからやってくる。貴方にこんな友だちがいるか。いても眉に闘志なんかない奴だろうな。へこへこした猫背のおじさんがにやにやしながらやってきて無言でちょっと手を挙げる。そんな現代だ。正面から真面目に一途にこちらにむかってぐんぐん来る。溌剌とした五月の男。そんな男がいたらむしろ迷惑なご時世かもしれない。正面も一途も溌剌も恥ずかしい言葉になってしまった変な時代だ、今は。『地吹雪』(1959)所載。(今井 聖)


May 2452012

 枇杷熟れてまだあたたかき山羊の乳

                           三好万美

の昔、牧場で飲む牛乳はおいしいと搾りたての牛乳を飲まされた。だけどアルミの容器に満たされた液体は、むうっと生臭い感じがして苦手だった。多分生き物の体温がぬるく残っているのが嫌だったのだろう。回虫がついていると洗剤を使って野菜を洗うのがコマーシャルで流れていた時代だ。人工的なことが洗練されているという思い込みがあったのかもしれない。掲句では真っ白な山羊からほとばしりでる乳と枇杷の明るい橙色のコントラストが素敵だ。銀色の生毛に包まれた枇杷も暖かかろう。山の斜面に山羊を遊ばせ乳を搾る生活が残っている地域ってあるのだろうか。そんな牧歌的風景があるなら見て見たい。『満ち潮』(2009)所収。(三宅やよい)




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