よれよれの阪神が、やっと●●●●●○。前途多難なるべし。(哲




句(前日までの二句を含む)

May 2452012

 枇杷熟れてまだあたたかき山羊の乳

                           三好万美

の昔、牧場で飲む牛乳はおいしいと搾りたての牛乳を飲まされた。だけどアルミの容器に満たされた液体は、むうっと生臭い感じがして苦手だった。多分生き物の体温がぬるく残っているのが嫌だったのだろう。回虫がついていると洗剤を使って野菜を洗うのがコマーシャルで流れていた時代だ。人工的なことが洗練されているという思い込みがあったのかもしれない。掲句では真っ白な山羊からほとばしりでる乳と枇杷の明るい橙色のコントラストが素敵だ。銀色の生毛に包まれた枇杷も暖かかろう。山の斜面に山羊を遊ばせ乳を搾る生活が残っている地域ってあるのだろうか。そんな牧歌的風景があるなら見て見たい。『満ち潮』(2009)所収。(三宅やよい)


May 2352012

 袷着て素足つめたき廊下かな

                           森田たま

(あはせ)は冬の綿入れと単衣のあいだの時季に着るもので、もともとは綿入れの綿を抜いたものだったという。夏がめぐってきたから袷を着る。気分は一新するにちがいない。もちろんもう足袋も鬱陶しい時季だから、廊下の板の上を素足でじかにひたひた歩く、そのさわやかな清涼感が伝わってくる。人の身も心もより活動的になる初夏である。足袋や靴下を脱いで素足で廊下を歩き、あるいは下駄をはく気持ち良さは、今さら言うまでもない。人間の素肌がもつ感覚にはすばらしいものがある。ところで、森田たまを知る人は今や少なくなっているだろうが、『もめん随筆』『きもの随筆』『きもの歳時記』などで知られた人の句として、掲句はなるほどいかにもと納得できる。ひところ参議院議員もつとめ、1970年に75歳で亡くなった。「いささかのかびの匂ひや秋袷」という細やかな句もある。また三橋鷹女には「袷着て照る日はかなし曇る日も」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2252012

 雲雀には穴のやうなる潦

                           岩淵喜代子

日の金環食の騒ぎに疲れたように太陽は雲に隠れ、東京は雨の一日になりそうだ。毎夜月を見慣れた目には、鑑賞グラスに映る太陽が思いのほか小さいことに驚いた。金環食を見守りながら、ふと貸していた金を返してもらうため「日一分、利取る」と太陽に向かって鳴き続ける雲雀(ひばり)の話を思い出していた。ほんの頭上に輝いていると思っていた太陽が、実ははるか彼方の存在であることが身にしみ、雲雀の徒労に思わず同情する。雲雀は「日晴」からの転訛という説があるように、空へ向かってまっしぐらに羽ばたく様子も、ほがらかな鳴き声も青空がことのほかよく似合う。掲句は雨上がりに残った潦(にわたずみ)に真っ青な空が映っているのを見て、雲雀にはきっと地上に開いた空の穴に映るのではないかという。なんと奇抜で楽しい発想だろう。水たまりをくぐり抜けると、また空へとつながるように思え、まるで表をたどると裏へとつながるメビウスの帯のような不思議な感触が生まれる。明日あたり地面のあちこちに空の穴ができていることだろう。度胸試しに飛び込む雲雀が出てこないことを祈るばかりである。『白雁』(2012)所収。(土肥あき子)




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