配達人が代わって、朝刊が5時半過ぎに届くようになった。遅い。(哲




2012ソスN5ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0952012

 葬列に桐の花の香かむさりぬ

                           藤沢周平

色が印象的な桐の花は、通常4月から5月上旬にかけて咲く。今の日本では産地へ行かないかぎり、桐の花を見ることがむずかしくなった。ちなみに桐の花は岩手県の県花である。10年近く前になろうか、中国の西安に行ったとき、田舎をバスで走りながら、菜の花の黄と麦の緑、それに桐の花の紫、三色を取り合わせた田園の風景に感嘆したことがあった。掲句は周平が、もともと「馬酔木」系の俳誌「海坂」1953年7月号に、四句同時に巻頭入選したなかの一句。他に「桐の花踏み葬列が通るなり」など、四句とも桐の花を詠んだものだった。このとき周平は肺結核で東村山の病院に入院中で、近くに桐の林があったという。残念ながら私は桐の花の香を嗅いだことはないけれど、しめやかに進む葬列を桐の花の香と色彩とが、木の下を進む葬列を包むようにかぶさっているのだろう。美しくやさしさが感じられるけれど、どこかはかなさも拭いきれない初夏の句である。このころ周平は最も辛い時代だったという。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


May 0852012

 銀河系語る泉にたとえつつ

                           神野紗希

人的な好みもあろうが、専門分野を簡潔に説明でき、明快な比喩を扱える人に出会うと、憧れと尊敬でぽーっとなってしまう。広辞苑で「銀河系」をひくと「太陽を含む二千億個の恒星とガスや塵などの星間物質から成る直径約十五万光年の天体」とあり、その数字に圧倒される。やさしく分りやすい信条の新明解国語辞典でも広辞苑の説明に追加して「肉眼で見える天体の大部分がこれに含まれる」とあって、そこからは「だからもうそこらじゅう全部銀河系だってことなんですっ」という開き直ったような困惑ぶりが見てとれる。数字が大きければ大きいほど、現実から遠ざかる。人間が瞬時に把握できる数は7という説があるが、それをはるかに超えた千億個などという途方もないものは数という親しみやすい存在から逸脱している。掲句のこんこんと湧く泉に例えられたことで、堅苦しく数字がひしめいていた銀河系が、途端に瑞々しい空間へと変貌し、たっぷりとした宇宙に漂う心地となる。〈起立礼着席青葉風過ぎた〉〈寂しいと言い私を蔦にせよ〉『光まみれの蜂』(2012)所収。(土肥あき子)


May 0752012

 ひといきに麦酒のみほす適齢期

                           岸ゆうこ

校生のころだったか、伊藤整の新聞小説に「初夏、ビールの美味い季節になった」とあった。「ふうん、そんなものなのか」と思った記憶があるが、いまになってみると、なるほど初夏のビールは真夏のそれよりも美味い気がする。この時期のビヤホールが、いちばん楽しい。とはいえ、ビールを飲む人の気持ちはいろいろで、みんなが楽しくしているわけではない。作者のような鬱気分で飲んでいる人もいるのだ。「適齢期」とは「結婚適齢期」のことで、最近ではほとんど聞かなくなった。この句はおそらく若き日の回想句だろうが、往時の女性は二十歳ころを過ぎると、そろそろ結婚を考えろと周囲から攻め立てられた。小津安二郎映画の若い女性などは、みなそのくちである。で、すったもんだのあげくに結婚すると、残された父親に「女の子はつまらんよ。せっかく育てたと思ったら、嫁に行っちまうんだから」などとぼやかれたりするのだから立つ瀬がない。句はそんな適齢期にあった作者が、結婚を言い立てられて、半ば自棄的に飲み慣れないビールを飲み干しちゃった図である。こんな時代も、そんなに遠い昔ではなかった。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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