美しい五月がはじまりました。禍々しいことが起きませんように。(哲




2012ソスN5ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0152012

 メーデー歌いつより指輪にときめかず

                           福田洽子

980年代半ばから十数年間をOLとして過ごしていたが、メーデーとは希薄な関係のままだった。「8時間は労働、8時間は休息、8時間は自由な時間のために」というメーデー誕生の主張を、新鮮な気持ちで眺めている。バブル期といわれる好景気にもまるきり実感はなかったが「24時間働けますか♪」というバカバカしいCMは今も耳底に残っている。あらためて「メーデー歌」を検索してみると「聞け万国の労働者」がヒットした。聞いたことはあるが、歌詞は最初のフレーズのみしか覚えはなく、以降が「汝の部署を放棄せよ」「永き搾取に悩みたる」などと続くとは思いもよらなかった。この時代の先輩たちの熱き攻防が、後に続く労働者のさまざまな権利を成果として実らせてきたのだろう。掲句の「いつより指輪にときめかず」には、若い日々へのほろ苦い回顧がある。指輪にときめいていた頃の指は、未来を掴もうと戦っていた。野望に満ちた手は装飾品を欲し、また希望に満ちたしなやかな指にはきらめきや彩りがよく似合う。今あらためて、装飾品から解放され、じゅうぶんに時を経た無垢の指を見つめている作者がいる。次の世代へとバトンを渡したあとの手はおだやかに皺を刻み、戦い掴み取る手から、差し出す掌へと変貌している。『星の指輪』(2012)所収。(土肥あき子)


April 3042012

 浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車

                           原子公平

者、八十歳ころの句。作者自身が最後の句集と記した『夢明り』(2001)に所収。あとがきに、こうある。「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである。それもかなり『面白く』に重心が傾いてきているのではないか。現代的な俳諧の創造を目指しているわけだが、極く簡単に言えば、文学的な面白さがなくて何の俳句ぞ、ということになろう」。なるほど、この句はなかなかに「面白い」。いやその前に「美しく、正しい」と言うべきか。霊柩車を見送る作者の胸中には、故人に対する哀悼の意を越えて、これが誰も逃れられない「浮き世」の定めだという一種の諦観がある。それを「逃げ水に乗る」とユーモラスな描写で包んだところに、作者の言う面白さがにじみ出ている。この世から少し浮かびながら逃げていく霊柩車。人は死んではじめて、この世が「浮き世」であることを証明でもするかのように。(清水哲男)


April 2942012

 夏近き吊手拭のそよぎかな

                           内藤鳴雪

近しは夏隣りとともに、そのとおりの晩春の季語です。吊手拭(つりてぬぐい)は今は見かけられなくなりましたが、それでも地方の古い民宿などに泊まると、突き当たりの手洗い横に竹や木製のハンガーにつるされている日本手ぬぐいを見かけます。内藤鳴雪は正岡子規と同郷松山の先輩であり、俳句は子規に教わりました。明治時代は、戸締りも通気もゆるやかで、外の風や香りや虫を拒 むことなく家のなかにとり入れていたのでしょう。「吊手拭のそよぎ」が、外の自然をゆるやかに受けとめていて、現代住宅の洗面所のタオルには全くない風情を伝えています。タオルはタオルという名詞ですが、吊手拭は、「吊り、手を拭う」で、動詞を二つふくめた名詞です。手拭、鉢巻き、風呂敷、前掛けなど、かつて生活の場で使われていた名詞には具体的な行為が示されていて、それが人の体とつながりのある言葉としてやわらかくなじみます。木村伊兵衛の昭和の写真にノスタルジーを感じるのに似て、「吊手拭のそよぎ」という言葉は、明治という時代のゆるやかな風を今に運んでくれています。『日本文学大系95 現代句集』(1973)所載。(小笠原高志)




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