必要があって借地権のお勉強。ややこしいけど、面白いな。(哲




2012ソスN4ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2642012

 春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ

                           富安風生

を運転しなくなってからガソリンスタンドにとんと縁がなくなった。昔はガソリンの値段に一喜一憂したものだが、車を手放してからはガソリンスタンドがどこにあるのやら、道沿いの看板を気に留めることもない。この句は昭和18年に出された句集『冬霞』に収録されているが、当時は車を持っていること自体、珍しい時代。しかも日米開戦後、英語が敵国語として禁止されていく状況を思うと挟みこまれた英単語にモダンという以上に意味的なものを探ってしまう。しかしそうした背景を抜きにして読んでも春雨とSHELL石油の紅いロゴの配合はとてもお洒落だ。同じ作者の句に「ガソリンの真赤き天馬春の雨」があるが、こちらはガソリンと補足的な言葉が入るだけに説明的で、掲句の取り合わせの良さにはかなわないように思う。SHELL石油がなくなったとしても蕪村の「春雨や小磯の小貝濡るるほど」が遠く響いてくるこの句は長く残っていくのではないだろうか。「日本大歳時記」(1982)所載。(三宅やよい)


April 2542012

 はるさめに昼の廓を通りけり

                           永井荷風

風は花街や廓を舞台にした俳句を、どれくらいの数詠んだのだろうか。掲句は二十代に詠まれたもの。荷風は二十歳から七十四歳になるまで、本格的に俳句を作った(亡くなったのは七十九歳)。静かにしとしとしっとり晩春に降りつづけるのが春雨とされる。月形半平太ではないが、春雨は濡れてもあまり気にならない。どこかしら滝田ゆうの寺島町を舞台にした漫画が想起される俳句だが、若いときの作であるだけに、昼の静けさのなかにも生気がひそんでいるように感じられる。昼の廓だから、夜の喧噪と対照的にまだ寝ぼけていて、路上は信じられないほどにしんと静まり返っているのだろう。おっとりとぼやけた春雨と解釈するか、すべてを洗い流す恨みの春雨と解釈するか――。残念ながら、遅れて来た当方に登楼の経験はないが、花街へやって来る客は、通りからのぞいて冷やかして行くだけ(「ぞめき」と呼ばれた)の客が大半だったという。落語の傑作に「二階ぞめき」という噺がある。惚れた花魁がいるというのではなく、ぞめきが大好きで吉原通いがやめられない大店の若旦那のために、それではとおやじが家の二階に吉原そっくりの街を造った。若旦那がそこ(二階)へ出かけて冷やかして歩くという奇想天外な傑作である。自宅の二階ならば昼も夜もあるまい。荷風には「はる雨に灯ともす船や橋の下」もある。磯辺勝『巨人たちの俳句』(2010)所載。(八木忠栄)


April 2442012

 春深しひよこに鶏冠兆しつつ

                           三村純也

わとりは庭で手軽に飼うことができる家禽であった。新鮮で栄養豊富な卵が手に入り、フンは飼料となった。にわとりの餌を刻み、水を取り替え、卵を回収するのは子どもの役目だと聞いたのは、清水哲男さんからだったが、昭和40年代のわが家の回りにもまだちらほらと庭でにわとりを飼っている家は存在した。友人の家にひよこが生まれたと聞いて、学校帰りに見に行くと、たんぽぽの絮毛を重ねたような愛らしいひよこがよちよち歩きまわっている。あまりの可愛らしさに毎日のように寄り道するようになったが、一ヶ月もしないうちにすらりと筋肉質の体躯になり、そのうち鶏冠(とさか)が生えてくる。孵ったばかりのひよこの雌雄を見分けることは極めて難しいそうで、そのため「初生雛鑑別師」という国家資格があるそうだが、彼女に家のひよこたちも、雌は残して、雄は引き取ってもらうことになっていた。鶏冠が大きくなれば雄なのだ。晩春のともすれば汗ばむような日差しのなかで、鶏冠がほの見え始めたとき、ひよこ時代は終わりを告げる。おたまじゃくしの足ほど重要ではなく、人間の親知らずほど無用でもない程度に考えていた鶏冠だが、ひよこたちの運命を左右するものかと思えば、その一点の赤が痛々しく切なく胸に迫ってくる。『觀自在』(2011)所収。(土肥あき子)




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