長らく使っていなかったNikon D40に黴が…。保管場所のせいか。(哲




2012ソスN4ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2542012

 はるさめに昼の廓を通りけり

                           永井荷風

風は花街や廓を舞台にした俳句を、どれくらいの数詠んだのだろうか。掲句は二十代に詠まれたもの。荷風は二十歳から七十四歳になるまで、本格的に俳句を作った(亡くなったのは七十九歳)。静かにしとしとしっとり晩春に降りつづけるのが春雨とされる。月形半平太ではないが、春雨は濡れてもあまり気にならない。どこかしら滝田ゆうの寺島町を舞台にした漫画が想起される俳句だが、若いときの作であるだけに、昼の静けさのなかにも生気がひそんでいるように感じられる。昼の廓だから、夜の喧噪と対照的にまだ寝ぼけていて、路上は信じられないほどにしんと静まり返っているのだろう。おっとりとぼやけた春雨と解釈するか、すべてを洗い流す恨みの春雨と解釈するか――。残念ながら、遅れて来た当方に登楼の経験はないが、花街へやって来る客は、通りからのぞいて冷やかして行くだけ(「ぞめき」と呼ばれた)の客が大半だったという。落語の傑作に「二階ぞめき」という噺がある。惚れた花魁がいるというのではなく、ぞめきが大好きで吉原通いがやめられない大店の若旦那のために、それではとおやじが家の二階に吉原そっくりの街を造った。若旦那がそこ(二階)へ出かけて冷やかして歩くという奇想天外な傑作である。自宅の二階ならば昼も夜もあるまい。荷風には「はる雨に灯ともす船や橋の下」もある。磯辺勝『巨人たちの俳句』(2010)所載。(八木忠栄)


April 2442012

 春深しひよこに鶏冠兆しつつ

                           三村純也

わとりは庭で手軽に飼うことができる家禽であった。新鮮で栄養豊富な卵が手に入り、フンは飼料となった。にわとりの餌を刻み、水を取り替え、卵を回収するのは子どもの役目だと聞いたのは、清水哲男さんからだったが、昭和40年代のわが家の回りにもまだちらほらと庭でにわとりを飼っている家は存在した。友人の家にひよこが生まれたと聞いて、学校帰りに見に行くと、たんぽぽの絮毛を重ねたような愛らしいひよこがよちよち歩きまわっている。あまりの可愛らしさに毎日のように寄り道するようになったが、一ヶ月もしないうちにすらりと筋肉質の体躯になり、そのうち鶏冠(とさか)が生えてくる。孵ったばかりのひよこの雌雄を見分けることは極めて難しいそうで、そのため「初生雛鑑別師」という国家資格があるそうだが、彼女に家のひよこたちも、雌は残して、雄は引き取ってもらうことになっていた。鶏冠が大きくなれば雄なのだ。晩春のともすれば汗ばむような日差しのなかで、鶏冠がほの見え始めたとき、ひよこ時代は終わりを告げる。おたまじゃくしの足ほど重要ではなく、人間の親知らずほど無用でもない程度に考えていた鶏冠だが、ひよこたちの運命を左右するものかと思えば、その一点の赤が痛々しく切なく胸に迫ってくる。『觀自在』(2011)所収。(土肥あき子)


April 2342012

 大阪に絹の雨降る花しづめ

                           ふけとしこ

花の散るころから初夏にかけては気候の移り変わりが激しく、疫病の流行する時期に当たり、疫病の霊を鎮め心身の健全を祈願する祭りが「鎮花祭(はなしづめのまつり)」「花しづめ」である。奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社などのものが有名だが、大阪では、大阪天満宮でこの二十五日に行われる。そんな祭の日の雨を詠んだ句と解するのが真っ当な読みなのだろうが、私にはむしろ祭には無関係の句のように思われた。春爛漫を謳歌していた桜の花が散りはじめた大阪の街に、絹糸のような細くて清冽な雨が降ってきて、その雨が花々のたかぶりをなだめ鎮めているようだと読んだ。祭とは直接的には関係なく、降る雨がおのずから「花しづめ」の役回りとなり、花に象徴される大阪の活気や猥雑さを清らかに洗い拭っている。もっと言えば、一般的な大阪のイメージを払拭して、静かで落ち着いた大阪を差し出してみせているのだ。すなわち、大阪という都市の奥深さを抒情的に表現した句と思うのだが、どんなものだろうか。『鎌の刃』(1995)所収。(清水哲男)




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