葉桜の季節がやってくる。農家の子だった頃は忙しかったなあ。(哲




2012ソスN4ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1042012

 猫の子の目が何か見ておとなしき

                           喜田進次

いたばかりの猫の目は、どんな猫でもみんな濃いブルーである。「キトン(子猫)ブルー」と名付けられる深い青色は一ヶ月ほどかけて薄れ、本来の瞳の色になっていく。虹彩に色素が定着していないことが理由らしいが、この吸い込まれるような青い瞳にはもっとロマンチックなストーリーを重ねたくなる。しきりに鳴き続けた子猫がふとなにかを見つめ静かになったという掲句。『メアリー・ポピンズ』に赤ん坊は日の光、風、樹、小鳥、星のどれもが話しかけてくれた日々を、人間の言葉を覚えるとともに忘れてしまう、とムクドリが嘆く話しがあった。驚きやすい子猫をうっとりとなだめたものは、綾なす春の日差しか、きらめく木漏れ日か、人間の大人には見えないなにかが確かにそこにはあったのだろう。『進次』(2012)所収。(土肥あき子)


April 0942012

 のどけしや母を乗せゆくぽんぽん船

                           松下比奈子

日前に、母が急逝した。翌日に葬儀社の霊安室で対面したが、母は何か物言いたげなようにも見えて、一瞬思わずも目をそらしてしまった。後で弟に聞いたら、亡くなる何日か前には、しきりに私と話したがっていたそうだ。大正五年生まれの母は、いや母ばかりではなくこの世代は、関東大震災と戦争を通過するという災厄にあい、まるで苦労するために生まれてきたような人々である。母に話を限れば、いわゆるレジャーなどとも生涯無縁であり、ひたすらに夫や子供のために働きつづけただけであった。物見遊山の旅行などには、一度も出かけたことはなかった。そんな母だったから、句の「母」と重ね合わすことなどとてもできない。「のどけさ」という季語にも似合わない。しかし、だからこそ、私は母をこの「ぽんぽん船」に乗せてやりたいと思ったのだ。ちょっと困ったような表情の母を乗せて出てゆく「ぽんぽん船」を見送りつつ、そこではじめて私は大声で、「お母さん、ありがとう。ゆっくり休んでください」と言えそうな気がしているのである。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 0842012

 満開の桜のために琴を弾く

                           品川鈴子

の句を作るのは、難しいです。例年、この時期の句会の兼題は「桜」になりますが、私の場合は、句が桜に負けてしまって、うまく作れたためしがありません。その点、掲句は、句の中に桜を見事にとどめています。満開の桜のために琴を弾く----俳句ですが散文のようでもあり、さらりと句を受け入れられます。ただ、何度もこの句を反芻しているうちに、現実の満開の桜とは刹那の瞬間にしか存在しえず、それは奇蹟的なことであ り、しかし、俳句の中ならば、そのような満開の桜の瞬間をとどめておくことが可能なのだということに気づかされました。琴を弾くまでには数分程度、準備の時間が必要です。丈、約180センチの琴を運び、十三本の絃、一本一本に柱(じ)を立て、それから曲に合わせて調絃します。「満開の桜のために」琴を準備しているあいだ、きっと桜は散らないで、満開のまま、じっと待ってくれている、俳句の中ならば、これは可能です。そして、準備が整い、爪が十三本の絃を連続的にはじいた琴の音に共鳴して、満開の桜の花びらが舞い散り始める、そんな余韻が残ります。作者は、心から桜を愛で、桜の心に手向けて琴を弾く心根をおもちで、これを有心体というのでしょう。『季寄せ 草木花 春・上』(1980朝日 新聞社)所載。(小笠原高志)




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