午後はかつての「河出書房」残党花見会。みんな歳を取りました。(哲




2012ソスN4ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0542012

 桜咲く間違い探しに来たような

                           くぼえみ

心部でも桜がようやく満開になった。「二つの絵を見比べてください違うところが7か所あります」というのが間違いさがし。空を見上げて、こぼれるほどの桜の枝々を見つめていると、あのときの桜、いつか見た桜がフラッシュバックしてゆく。そうした記憶の桜と眼前の桜を重ね合わせて、自分が間違い探しをしている気持ちになったのだろう。幼い頃、二階の黒い窓枠のそばの桜の枝を見たとき、白っぽい花の一輪一輪がはっきり見えて綺麗と思ったのが記憶初めの桜だった。それからどのくらいの桜を見てきたことか。入学式の桜、送別会の桜、花見の場所取りに行った土手の桜、近所に咲く庭桜。花を見つめる、見上げる、愛でる。毎年決まって、桜を見続けてきた行為は確かに間違い探しに似ているかもしれない。『猫じゃらし』(2010)所収。(三宅やよい)


April 0442012

 春昼や細く脱がれて女靴

                           永井龍男

かにも龍男らしいこまやかな目のつけどころに、感服するほかない。きれいでスマートな女靴が、掃除のゆき届いた玄関にきちんと脱いである。素直な着眼が気持ち良いし、少しもむずかしい句ではない。また、ここは「春昼」がぴったり決まっていて、「細(ほそ)く脱がれて」にさりげないうまさが感じられる。「小さく」ではなく「細く」にリアリティーがある。なかなかこうは詠えない。靴を脱いだ女性の物腰から品格までが、快く想像されるではないか。足ばかりでかくてドタ靴専門の当方などは、身の置きどころに困ってしまう名句である。脱線ついでに……当方がよく見る靴探しの夢がある。何かの集会に参加して、さて、帰る時になって気に入っている自分の靴を探すけれども、脱ぎ捨てられたおびただしい靴のどこをどう探しても見つからず、困り果てているという夢。これ、何のタタリなのか! 同じような夢に悩まされる御仁は、ござらぬか? 龍男の春の句には「あたたかに江の島電車めぐりくる」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 0342012

 嘴は亀にもありて鳴きにけり

                           丸山分水

アフ島で海亀と一緒に泳いだことがある。忠実に書くと、息継ぎをしにきた亀と偶然隣合わせ、その後ふた掻きほど並泳した。種族が異なっても「驚く」や「怒る」の感情は分るものだ。顔を見合わせた瞬間にはお互い面食らったものの、彼(もしくは彼女)は、ごく自然に通りすがりの生きものとして、わたしを追い抜いていった。息がかかるほどの距離でまじまじと見つめ合った貴重な瞬間ではあるが、実をいえば目の前で開閉した鼻の穴の印象が強く、おそらく向こうもあんぐり開けた人間の口しか見ていないと思われる。しかしその鼻の先はたしかに硬質でゆるやかな鈎状をしていた。「亀鳴く」の季語には一種の俳諧的な趣きとして置かれているが、同列の蚯蚓や蓑虫の鳴き声の侘しさとは違い、のどかでおおらかである。その声は深々と響くバリトンを想像したが、嘴の存在を思うと、意外に可憐な歌声を持っているのかもしれない。『守門』(2011)所収。(土肥あき子)




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