あんぱんの日。このところ食べたくなる日が多い。粒餡に限る。(哲




2012ソスN4ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0442012

 春昼や細く脱がれて女靴

                           永井龍男

かにも龍男らしいこまやかな目のつけどころに、感服するほかない。きれいでスマートな女靴が、掃除のゆき届いた玄関にきちんと脱いである。素直な着眼が気持ち良いし、少しもむずかしい句ではない。また、ここは「春昼」がぴったり決まっていて、「細(ほそ)く脱がれて」にさりげないうまさが感じられる。「小さく」ではなく「細く」にリアリティーがある。なかなかこうは詠えない。靴を脱いだ女性の物腰から品格までが、快く想像されるではないか。足ばかりでかくてドタ靴専門の当方などは、身の置きどころに困ってしまう名句である。脱線ついでに……当方がよく見る靴探しの夢がある。何かの集会に参加して、さて、帰る時になって気に入っている自分の靴を探すけれども、脱ぎ捨てられたおびただしい靴のどこをどう探しても見つからず、困り果てているという夢。これ、何のタタリなのか! 同じような夢に悩まされる御仁は、ござらぬか? 龍男の春の句には「あたたかに江の島電車めぐりくる」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 0342012

 嘴は亀にもありて鳴きにけり

                           丸山分水

アフ島で海亀と一緒に泳いだことがある。忠実に書くと、息継ぎをしにきた亀と偶然隣合わせ、その後ふた掻きほど並泳した。種族が異なっても「驚く」や「怒る」の感情は分るものだ。顔を見合わせた瞬間にはお互い面食らったものの、彼(もしくは彼女)は、ごく自然に通りすがりの生きものとして、わたしを追い抜いていった。息がかかるほどの距離でまじまじと見つめ合った貴重な瞬間ではあるが、実をいえば目の前で開閉した鼻の穴の印象が強く、おそらく向こうもあんぐり開けた人間の口しか見ていないと思われる。しかしその鼻の先はたしかに硬質でゆるやかな鈎状をしていた。「亀鳴く」の季語には一種の俳諧的な趣きとして置かれているが、同列の蚯蚓や蓑虫の鳴き声の侘しさとは違い、のどかでおおらかである。その声は深々と響くバリトンを想像したが、嘴の存在を思うと、意外に可憐な歌声を持っているのかもしれない。『守門』(2011)所収。(土肥あき子)


April 0242012

 蒲公英のかたさや海の日も一輪

                           中村草田男

分の日を過ぎても、今年は寒い日がつづいた。この句は、そんな春は名のみの海岸での感懐だろう。暖かい陽射しのなかで咲く蒲公英(たんぽぽ)ならば、気分を高揚させてくれる感じがあるが、句のそれは曇天に「かたく」咲いているので、逆に気持ちも寒々しくなってしまう。そして沖に目をやれば、これまた雲を透かせてぼおっと太陽がにじんでいるのである。眼前の蒲公英が一輪しか咲いていないことを、「海の日も一輪」と暗示したことにより、句はスケールの大きいものとなり、しかも日常的なこまやかな感情もこぼすことなく同時にとらえていて見事だ。昔この句を読んだときに、イギリスの画家ターナーの霧にかすむ陰鬱な日の光りを連想したことがある。草田男には向日的な句が多いけれど、こうしたいわばターナー的な抒情句にも、天性としか言いようのない閃きを示したのだった。『火の島』(1941)所収。(清水哲男)




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