スマホ向けテレビ局が登場。NOTTVとはまたイミシンな。(哲




2012ソスN4ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0342012

 嘴は亀にもありて鳴きにけり

                           丸山分水

アフ島で海亀と一緒に泳いだことがある。忠実に書くと、息継ぎをしにきた亀と偶然隣合わせ、その後ふた掻きほど並泳した。種族が異なっても「驚く」や「怒る」の感情は分るものだ。顔を見合わせた瞬間にはお互い面食らったものの、彼(もしくは彼女)は、ごく自然に通りすがりの生きものとして、わたしを追い抜いていった。息がかかるほどの距離でまじまじと見つめ合った貴重な瞬間ではあるが、実をいえば目の前で開閉した鼻の穴の印象が強く、おそらく向こうもあんぐり開けた人間の口しか見ていないと思われる。しかしその鼻の先はたしかに硬質でゆるやかな鈎状をしていた。「亀鳴く」の季語には一種の俳諧的な趣きとして置かれているが、同列の蚯蚓や蓑虫の鳴き声の侘しさとは違い、のどかでおおらかである。その声は深々と響くバリトンを想像したが、嘴の存在を思うと、意外に可憐な歌声を持っているのかもしれない。『守門』(2011)所収。(土肥あき子)


April 0242012

 蒲公英のかたさや海の日も一輪

                           中村草田男

分の日を過ぎても、今年は寒い日がつづいた。この句は、そんな春は名のみの海岸での感懐だろう。暖かい陽射しのなかで咲く蒲公英(たんぽぽ)ならば、気分を高揚させてくれる感じがあるが、句のそれは曇天に「かたく」咲いているので、逆に気持ちも寒々しくなってしまう。そして沖に目をやれば、これまた雲を透かせてぼおっと太陽がにじんでいるのである。眼前の蒲公英が一輪しか咲いていないことを、「海の日も一輪」と暗示したことにより、句はスケールの大きいものとなり、しかも日常的なこまやかな感情もこぼすことなく同時にとらえていて見事だ。昔この句を読んだときに、イギリスの画家ターナーの霧にかすむ陰鬱な日の光りを連想したことがある。草田男には向日的な句が多いけれど、こうしたいわばターナー的な抒情句にも、天性としか言いようのない閃きを示したのだった。『火の島』(1941)所収。(清水哲男)


April 0142012

 御仏の切手舐めけり万愚節

                           衣川砂生

、私の机の上には、今年いただいたバレンタインデーのチョコレートの色鮮やかなパッケージが、十数個積み上げられたまま残っています。今日はエイプリルフールですが、これはウソではありません。四月馬鹿、または万愚節。俳句をたしなむ者として、虫歯・肥満・糖尿の原因になりやすいチョコレートよりも、洒落た嘘をいただきたいものです。その点、掲句はお見事です。誰もが切手をなめた経験をもっていて、その現実感を味方につけた虚構です。「御仏」と、仏に敬意を示しながらも切手の裏を「舐め」たことで、仏をナメているんですね。しかもこれは、仏に舌を出して「アッカンベー」をしているさまになっています。どうせ嘘をつくならば、こんなふうに大物相手に、二枚舌を使いたいもの です。なお、私の机上のチョコは、女性社員から大量かつ高価な義理を贈られた経営トップの友人から、土産に頂戴したものでした。『日本大歳時記 春』(講談社版1983)所載。(小笠原高志)




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