新しいiPadのカメラで撮ってみた。慣れれば面白い絵が撮れそう。(哲




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March 2232012

 面壁(めんぺき)も二十二年の彼岸かな

                           大道寺将司

者は東アジア武装戦線「狼」を結成、三菱重工本社を爆破事件の罪を問われて死刑の宣告を受けた。この句は1997年に作られているので、現在は三十七年獄中に暮らしていることになる。「面壁」とは達磨が9年壁に面して座り続け一言も発しなかったという故事に由来するのだろう。2011年2月に「赤軍派の永田洋子が六十五歳で死亡」という記事を新聞で読み、過ぎ去った一つの時代をつくづく思った。三菱重工の事件が起きたのは1974年。70年安保闘争も下火になり、学生運動が過激になっていった頃だったと思う。作者は死刑の宣告を受けて数十年以上、周囲の人との接触をいっさい断たれ自殺したくなるほど拘禁性の強い独房で過ごしているそうである。孤独な房で、自らの死刑と彼岸の死者と向き合いつつ、大道寺は俳句を作り続けている。「丈高く北と対する辛夷かな」『友へ』(2001)所収。(三宅やよい)


March 2132012

 春寒やしり尾かれたる干鰈

                           村野四郎

年の冬は例年以上に寒さが厳しかったから、春の到来は遅い。したがって、桜の開花も遅いという予報である。カレイに限らずアジでもメザシでも、魚の干物の尾はもろくていかにもはかない。焼けば焦げて簡単に砕けるか欠け落ちてしまう。(私は焼いた干物のしり尾は、食べる気になれず必ず残す。)掲句の場合のカレイは柳カレイだろうか。ならば尾はいっそうもろい。まだ寒さが残る春の朝、食膳に出されたカレイの干物にじっと視線を奪われながら、食うものと食われるもの両者の存在論を追究している、といった句である。いかにも新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト)の詩人らしい鋭い感性がそこに働いている。上五の「寒:kan」、中七の「かれ:kare」、下五の「鰈:karei」、それぞれの「k音」の連なりにも、どこかまだ寒い響きの感じを読みとることができる。四郎の代表的な詩「さんたんたる鮟鱇」は「顎を むざんに引っかけられ/逆さに吊りさげられた/うすい膜の中の/くったりした死/これは いかなるもののなれの果だ」とうたい出される。干鰈と鮟鱇の見つめ方に、共通したものが感じられないだろうか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 2032012

 白椿亡き子の臍の緒五十年

                           結城蓉子

年、民族学者の友人から仙台にある「冥婚」という風習を聞いた。亡くなった子供が20歳になったとき、あの世で結婚したとする追善供養である。亡くなったのちもなお、わが子が幸せに暮らしてほしいと願う親の心にひたすら胸を打たれる。掲句は白椿という清らかな花を眺めながら、臍の緒が収められている桐の小箱のことに思いを馳せる。指折り数えるまでもなく、もう50年という月日が流れているのだ。いつまでも幼いままの子の顔かたちをそっと胸の奥の小箱を開いて懐かしむ。生きるとは、あらゆることに区切りをつけながら過ごす日々をいうのだろう。暑さ寒さも彼岸まで。一歩一歩ゆっくり春になっていく。『アウシュビッツの風』(2011)所収。(土肥あき子)




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