昨日は届いたiPadで、設定やら何やらと一日遊んでしまった。(哲




2012ソスN3ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1732012

 サフランの二つ咲けども起きて来ず

                           遠藤梧逸

のサフランはハナサフラン、クロッカスのことだろう、昭和四十七年三月十一日の作。並んで〈シャボン玉ふと影消してしまひけり〉があり、その前書には「発病一時間にして空し」と。あまりにあっけなく逝ってしまった妻、呆然とした喪失感に包まれている作者にとって、クロッカス、というどこか弾んだ響きは、この時の心情にはそぐわなかったのだろう。そして、二つ咲けども、はやはり、二つ、なのであり、一つ、では、時間が感じられず、三つ、では長すぎる。『青木の実』(1981)と題されたこの句集、自筆の句と題字が、少しくすんだ柔らかい緑で、実、の一字だけがしっとりとした赤という、素朴だけれど美しい装丁の一冊である。(今井肖子)


March 1632012

 朝靄に梅は牛乳より濃かりけり

                           川端茅舎

乳はちちと読むのだろう。牛乳の白と比較しているのだから梅は白梅である。二者の比較のみならず朝靄もこれに加わるので三者の白の同系色比較。色の濃さは朝靄、牛乳、梅の順で濃くなる。僕らも日頃装いの配色にこんな計らいをする。思いの開陳。凝視。リズム。象形。比喩等々、表現手法はなんでもありで、その中に色彩対比もある。川端龍子の兄である茅舎は日本画を藤島武二や岸田劉生に学んだ本格派。この色彩構成はさすがという他ない。『華厳』(1939)所収。(今井 聖)


March 1532012

 ふらここを乗り捨て今日の暮らしかな

                           野口る理

さい頃はぶらんこほどステキな遊具はないと思っていた。学校のぶらんこはいつも順番待ちで心ゆくまで楽しめないので学校が終わると遠くの公園まで自転車で遠出してとっぷりと日が暮れるまでぶらんこを漕ぎ続けたものだ。ぶらんこの板に乗り、勢いをつけて地上を漕ぎ離れると何だか空に近くなり、高く高く耳元で風が鳴るのも心地よかった。おとなになって戯れに乗ってみたことは何度かあるけど、子供のときに感じた爽快感とは程遠いものだった。遠い幼年期の思い出が薄い光に包まれているように、ぶらんこもすぐそこにありながら大人にとっては手の届かないもののようだ。「ぶらんこを乗り捨て」「今日の暮らし」いう中七の句跨りの切れに、単純な時間の経過ではなく、幼年期からおとなになるまでの時間的隔たりが凝縮されている。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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