東京大空襲の日。死者行方不明者10万人。真っ赤に焼け爛れた空。(哲




2012ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032012

 燃やすべき今日の心や椿燃ゆ

                           上野 泰

らずに落ちることを詠まれ続ける椿だけれど、この句の椿はあかあかと燃えている。燃えるような赤い花、というともっと明るいイメージだが、深い緑の葉陰に一輪ずつのぞく椿の赤にはまた、独特の表情がある。燃やすべき、と詠んだこの時五十一歳の作者、椿のひたすらな赤にかきたてられるように何を思ったのだろうか。今日は三月十日、ちょうど一年が過ぎる。今こうして、いつ何が起こるかわからず、明日が来るのかさえ不確かな日々の中に暮らしていると、燃やすべき今日の心、という言葉がより一層切実に迫って来る。『城』(1974)所収。(今井肖子)


March 0932012

 畦焼の祖父が火入れの責を負ふ

                           谷口智行

取県米子市に住んでいたときの公舎の前は自衛隊の演習地だった。別に柵があったわけでもなく、向かいの家々までは霞むほどの距離があった。ときどき火炎放射器の実演などもあったから今から思うと危険な野原だった。春に父が庭に放った火が演習地に燃え移り父が叫びながら走り回り消防車まで来た記憶がある。野焼、畦焼はかくのごとく危険なものであるということを実感したのである。「祖父」は風の向きや強さなどを計算に入れながら火を入れるのだろう。煙の匂いなどもただ茫々と懐かしい限りである。『日の乱舞物語の闇』(2010)所収。(今井 聖)


March 0832012

 青き踏む感電防止靴のまま

                           箭内 忍

電防止は帯電防止ともいい、電気工事の作業中にはくためのものらしい。この言葉をネットで検索したところ、神戸の「サヌキ」という靴メーカーの説明書きに行きあたった。「この靴は体内に蓄積される静電気を除去する為のもので、人体の静電気帯電が爆発、火災、電撃のような事故及び災害、又は生産障害の原因となるような作業及び場所で使用されます」自分の身体の中に蓄積された静電気が発火原因になるとはおそろしい。そんな靴を履いて危険な場所で作業している人たちは一刻も気持ちが緩められないだろう。掲句を読んだときには地面から萌え出てくる草の勢いに感電しないように、と想像して読んだので、自分の身体から発生する静電気を除去するための靴というのが意外だった。「青き踏む」に「感電」とくると、萌え出る草にスパークしてしまいそうだけど、それを「防止靴」で打ち消すヒネリが仕込まれている。それが為、この季語が持っている開放的気分とは違った危うさがこの句から感じられるのだろう。『シエスタ』(2008)所収。(三宅やよい)




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