日本時間では明日未明になるが、iPad3が発表になる。興味津々。(哲




2012ソスN3ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0732012

 男衆の声弾み雪囲い解く

                           入船亭扇辰

囲いは庭の樹木や家屋を雪から守るために、板や木材などでそれらを囲うもの。晩秋の頃の作業である。雪囲いを丹精こめて作ったのに、暖冬で雪が少なくて空振りに終わってしまうなんてことも実際にある。また逆に「長期予報で、雪はたいしたことないらしい」と油断して、逆にえらい目に遭うということもある。雪もグンと減った春先になって雪囲いを解くのだから、作業をする男たちの声は春がようやく到来したという喜びと、これから野良仕事を始められることに対する意気込みとで、テンションはあがっている。掲句からは、その躍動感が十分に伝わってくる。「男衆」という呼び方も聞かれなくなった。扇辰は当方と同じ雪国長岡の出身だから、ここは雪国の春先の実感があって詠んでいる。扇辰の落語の師匠は入船亭扇橋という、本確的な句を詠むことと、淡々とした芸風でよく知られている。落語界では正統派の中堅である扇辰、彼の活躍は今さら言うまでもない。落語家仲間で組むトリオのバンドの公演では、ドラムスを叩きヴォーカルもこなす茶目っ気のある才人。俳句は師匠の影響で始めたが、気の合った仲間と句会を楽しんでいるようだ。掲句については「雪囲い解く」という季語だけで七音、「残り十音で表現するのはむずかしいです。苦しまぎれにひねり出しました」と正直に述懐している。他に「恩師訪ううぐいす餅の五つもて」がある。「新潟日報」(2012.2.8)所載。(八木忠栄)


March 0632012

 きつぱりとせぬゆゑ春の雲といふ

                           鈴木貞雄

週は首都圏でも雪が降り、翌日は15度という落ち着かなさも春恒例のことではあるが、年々身体が追いつかなくなる。夏の厳しさも、冬の寒さもさることながら、かつてもっとも過ごしやすいと思っていた春が、一定しない陽気やら花粉やらでもっとも厭わしい季節になっていることにわれながら驚いている。正岡子規が「春雲は絮(わた)の如く」と称したように、春の雲は太い刷毛でそっと刷いたように、あるいはふわふわとしたまろやかさで身軽に空に浮かぶ。見つめていれば半透明になり、端から青空と一体化してしまうような頼りなさに思わず、「雲は雲らしく、もりもりっとせんかい」と檄を飛ばしたくなる心があってこそ、掲句が成り立つのだと思う。青春時代にはおそらく出てこない感情だろう。とはいえ、これこそ春の雲。春の空がうっとりとやわらかくかすんでいるのは、溶け出した雲のかけらを存分に吸い込んでいるからだろう。『森の句集』(2012)所収。(土肥あき子)


March 0532012

 暗室に酸ゆき朧のありて父

                           正木ゆう子

ジカメの普及で、フィルム現像液の「酸ゆき」匂いを知る人も少なくなってきた。昔のカメラ・マニアは、撮影したフィルムを自宅で現像し、自宅でプリントしたものだった。私の父もそんな一人だったので、句意はよくわかる。「暗室」といっても、プロでないかぎりは、どこかの部屋の片隅の空間を利用した。私の父の場合は風呂場を使っていたので、入浴するたびに独特の酸っぱい匂いがしたものだ。戦争中にもかかわらず、私の国民学校入学時の写真が残っているのは、父が風呂場にこもって現像してくれたおかげである。句の「朧」は詠んだ素材の季節を指しているのと同時に、そんな父親の姿を「おぼろげ」に思い出すという意味が重ねられている。それを一言で「酸ゆき朧」と言ったところに、若き正木ゆう子の感受性がきらめいている。昔の写真は、カメラ本体を除いてはみなこうした手仕事の産物だ。おろそかにしては罰が当たる。……というような思いも、だんだんそれこそ「朧」のなかに溶けていってしまうのだろうが。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます