気温の上昇につれて、東京は風が強くなる。うまくいかないなあ。(哲




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February 2522012

 蕗の薹見つけし今日はこれでよし

                           細見綾子

の句が好きだという知人がいて、その会話の記憶がある。こういう風に何気ないことに幸せを感じながら、日々を過ごし歳を重ねて行きたい、と言っていたように思う。今回『武蔵野歳時記』(1996)という句文集を読んでいて、再びこの句に出会った。故郷の丹波から、段ボール一杯蕗の薹が送られてきたことなどと共に、この句が書かれていたのだが「これは武蔵野のわが庭での蕗のとう。ただ一つだけ見つけて今日という日のすべてのことがこれでよいと思った」とある。この時の蕗の薹の存在は、何気ない小さな幸せというよりもっと強く、作者の日常の翳りを照らしたのだろう。送られてきた蕗の薹をひとつガラスの器に入れ、食卓に置き眺めていたという作者の、真っ直ぐなまなざしを思い浮かべた。(今井肖子)


February 2422012

 点滴一架日脚の長くなりしかな

                           石田波郷

い句からは多くの学ぶべきところがある。素朴なつくりに見えて凡句には及びもつかないところがある。点滴一架、まずこれが言えない。点滴瓶(袋)が下げてあって移動できるようになっている装置、これを「一架」で過不足なく言う。すごいなあ。次に大方の俳人なら「日脚伸ぶ」という季語をそのまま当てはめて安易に使いがち。それを「日脚の長くなりし」と言う。これも言えそうで言えない。もうひとつ。凡人は「かな」を名詞に付けて用いることが多いから「なりしかな」の何気なさが出せない。ことに近年の俳句にはこんな懐の深い表現はない。点滴の移動装置の影が見える。デッサンの確かさが「写生」の本意を示している。すんなり作ってあるようでいて創意も工夫も感覚もとてつもなく練られている。『酒中花以後』(1970)所収。(今井 聖)


February 2322012

 不健全図書を世に出しあたたかし

                           松本てふこ

あたたか」は春の心地よさがぼーっと感じられる頃で、今年のように厳しい寒さを経た身には、あたたかさを待ち望む気持ちが強くなるようだ。エロ本、マンガ?よく世の中の攻撃の的になる「不健全図書」だけど、その昔、思春期に差しかかった子供たちには誰にも聞けないことを盗み見て裏の世界を知るための指南書のようなものだった。今のようにインターネットもない、親や大人たちはコワイ。面と向かって聞けないことを、年の離れた兄弟がベッドの下にかくしている「不健全図書」をこっそり引っ張り出しては盗み見るスリルを味わっていた。教育的指導を好む大人たちは「不健全図書」が猟奇的な犯罪を招いているお考えかもしれないが、「不健全図書」にお世話になった身としては、そんな単純なものでもないだろうと抗議したい気持ちがある。その意味で不健全図書を作る仕事を「あたたかし」と言ってのける作者の詠みぶりに拍手を送りたい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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