長引く寒気が影響して、今年の桜の開花は遅めになりそうだ。(哲




2012ソスN2ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2222012

 松籟を雪隠で聞く寒さ哉

                           新美南吉

春から二週間あまり経ったけれど、今年の春はまだ暦の上だけのこと。松籟は松を吹いてくる風のことだが、それを寒い雪隠でじっと聞いている。「雪隠」という古い呼び方が、「寒さ」と呼応して一層寒さを厳しく感じさせる。寒いから、ゆっくりそこで落着いて松籟に耳傾けているわけにはゆかないし、この場合「風流」などと言ってはいけないかもしれないけれど、童話作家らしい感性がそこに感じられる。今風のトイレはあれこれの暖房が施されているけれども、古い時代の雪隠はもちろん水洗ではなく、松籟が聞こえてくるくらいだから、便器の下が抜けていていかにも寒々しかった。寺山修司の句「便所より青空見えて啄木忌」を想い出した。南吉は代表作「ごんぎつね」で知られている童話作家だが、俳句は四百句以上、短歌は二百首ほど遺している。また宮澤賢治の「雨ニモマケズ」発見の現場に偶然立ち会っている。他に「手を出せば薔薇ほど白しこの月夜」がある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


February 2122012

 ねこ葬る地の下深き温みまで

                           笹島正男

月12年間一緒に暮らした飼猫を見送った。借家住まいゆえ、庭に埋めることは叶わず、火葬してペット霊園に納骨するという人間と同じ仰々しさとなった。掲句の「葬る」の読みは語数から「ほうむる」ではなく「はふる」。この「はふる」の語源が「放る」と知り、愛情とともに猫と人間とのあるべき距離が感じられた。野良犬などに掘り返されることのないよう、静かに眠っていられるよう深く深くひたすら掘る。作者の気持ちがおさまるところまで掘り進め、「地の下深き温み」に行き当たる。そして、そっと土に返すのだ。動物霊園事業に関わる法律が制定されたのが昭和45年というから、それ以前はおおかたは飼っているペットが死んだら火葬もせず埋めていた。そのうえ、猫は放し飼いにするのが普通だったので、年を取って家に帰ってこなくなれば、どこか死に場所を見つけに出ていったと言われていたのだ。いまやペットは、家族と同等、ともすれば家族以上の存在で人間に寄り添っていることから、死の受入れ方もまた時代とともに変貌している。それにしても、ペット産業に携わる人々から死んだ猫を「猫ちゃん」と呼ばれることについては、どうにも違和感がつきまとう。明日2月22日は猫の日。近所で猫を見かけるとまだ胸のあたりがきゅんと痛くなる。『髪(かみのけ)座』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2022012

 ちぐはぐな挨拶かはし浅き春

                           藤田久美子

年はいつまでも寒い。私の住む東京三鷹の早朝の気温も、まだ氷点下の日が多い。しかし、日が昇ってきて窓を開けると、光りの具合は日に日に春めいてきている。光りを見る限りでは、もうすっかり春だと言ってもよいだろう。だから今年は、掲句のようなことが起こりがちだ。ゴミを出しに行くとたいてい誰かに会うから挨拶を交わすわけだが、私が光りの様子から「もう春ですねえ」と言うと、先方は寒さに背を丸めながら「今日も寒くなりそうで……」などと返してくる。まさに「ちぐはぐな挨拶」になってしまい、でも、どちらも嘘をついているわけではないので、ときには顔を見合わせて微笑しあったりもする。春浅き日の暮しの一コマを的確にとらえてみせた佳句である。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます