「冴返る」の季語が今年ほど冴えて感じられる年もないのでは。(哲




2012ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2122012

 ねこ葬る地の下深き温みまで

                           笹島正男

月12年間一緒に暮らした飼猫を見送った。借家住まいゆえ、庭に埋めることは叶わず、火葬してペット霊園に納骨するという人間と同じ仰々しさとなった。掲句の「葬る」の読みは語数から「ほうむる」ではなく「はふる」。この「はふる」の語源が「放る」と知り、愛情とともに猫と人間とのあるべき距離が感じられた。野良犬などに掘り返されることのないよう、静かに眠っていられるよう深く深くひたすら掘る。作者の気持ちがおさまるところまで掘り進め、「地の下深き温み」に行き当たる。そして、そっと土に返すのだ。動物霊園事業に関わる法律が制定されたのが昭和45年というから、それ以前はおおかたは飼っているペットが死んだら火葬もせず埋めていた。そのうえ、猫は放し飼いにするのが普通だったので、年を取って家に帰ってこなくなれば、どこか死に場所を見つけに出ていったと言われていたのだ。いまやペットは、家族と同等、ともすれば家族以上の存在で人間に寄り添っていることから、死の受入れ方もまた時代とともに変貌している。それにしても、ペット産業に携わる人々から死んだ猫を「猫ちゃん」と呼ばれることについては、どうにも違和感がつきまとう。明日2月22日は猫の日。近所で猫を見かけるとまだ胸のあたりがきゅんと痛くなる。『髪(かみのけ)座』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2022012

 ちぐはぐな挨拶かはし浅き春

                           藤田久美子

年はいつまでも寒い。私の住む東京三鷹の早朝の気温も、まだ氷点下の日が多い。しかし、日が昇ってきて窓を開けると、光りの具合は日に日に春めいてきている。光りを見る限りでは、もうすっかり春だと言ってもよいだろう。だから今年は、掲句のようなことが起こりがちだ。ゴミを出しに行くとたいてい誰かに会うから挨拶を交わすわけだが、私が光りの様子から「もう春ですねえ」と言うと、先方は寒さに背を丸めながら「今日も寒くなりそうで……」などと返してくる。まさに「ちぐはぐな挨拶」になってしまい、でも、どちらも嘘をついているわけではないので、ときには顔を見合わせて微笑しあったりもする。春浅き日の暮しの一コマを的確にとらえてみせた佳句である。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


February 1922012

 きさらぎの藪にひびける早瀬かな

                           日野草城

月のやわらかな光をうけて、冬に萎(しお)れていた藪(やぶ)も輝いている。藪のむこうからは、早春の雪解け水が足早に流れる音が聞こえてくる。春を告げる音のように。せせらぎはこちらからは見えず、ただ音が聞こえるばかりですが、光をこまやかに反射しながら流れているさまが目に浮かびます。音が光を発生させているような、早瀬の振動が藪に響いて光を拡散させているような、そんな読み方も許されるように思われてきます。現代のメディアアートには、デジタルの特性を活かして、視覚を聴覚化し、聴覚を視覚化する作品が多く発表されています。たとえば、坂本龍一がピアノの鍵盤を叩くとその音に反応して、スクリーン上に線と色彩が鮮やかに映像化される岩井俊雄の作品が有名です。掲句に も、そのような仕掛けが施されているのではないでしょうか。つまり、「ひびける」は、「日日」と「響」の掛け詞なのではなかろうかと。だから、作者・日野草城は「ひびける」をひらがな表記にしたのではないでしょうか。きさらぎ・二月の日の光は、藪の輝きと、雪解け水の音づれをたまわれました。『草城句集(花氷)』(1927)所収。(小笠原高志)




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