誕生日。74年間も休まずイキをしてきたのかと思うと不思議です。(哲




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February 1522012

 大腸の如き路地あり冬銀河

                           長谷邦夫

の「路地」は特定しなくとも、どこの街にもあって猥雑な雰囲気をもった路地を想定してかまわない。でも、作者は「新宿漂流」なるタイトルで詠んだいくつかの俳句がある、と断わっているからこれは新宿にある路地だろう。大腸のようにうねくねとした新宿の路地と言えば、酒場が軒をつらねている界隈ということになろう。すっきりととりすました健やかな界隈ではあるまい。深夜、酔って良い機嫌になった連中が、うるさい声をあげながら路地をうろつきまわっている光景が見えてくる。ふと見あげれば冴えわたる冬空に、銀河がくっきり横たわっている。銀河と路地、どちらもうねっているという対比。邦夫は「少し古い新宿を知っておられる方ならば、多少は感じていただけるか……」と付記し、さらに「これはゴールデン街内にはない店や場所を詠んでいる」と断わっている。とすると、さてどこらあたりか? まあ、新宿にはゴールデン街や柳街、小便横丁に限らず、大腸や小腸のごとき路地はあちらこちらにあった。邦夫は詩人でもあり、赤塚不二夫を支えた漫画家。かつて清水昶の「俳句航海日誌」にも、多くの俳句を書きこんでいた。他に古い新宿を詠んだ句に「永き日や『風月堂』で一茶論」がある。『桜三月散歩道』(2011)所載。(八木忠栄)


February 1422012

 バレンタインデーか中年は傷だらけ

                           稲垣きくの

年とは何歳あたりが該当するのだろうとあれこれ見ていくと、一般的に40代から50代をいうようだ。あれこれのなかには「ミッドライフクライシス(中年の危機)」という言葉も目についた。一途でがむしゃらを許される青年期を越え、ほっとひと息つく頃、老いの兆しらしきものを次々と自覚し始める。「折り返し地点」という言葉に、やり直しの限界に直面していることに気づき焦燥感がつのる。そのせいか、この不安定な時期にいきなり恋に落ちてしまうこともあるようだ。悲哀というには重過ぎるが、それでも年齢を重ねれば、どんな人間でも心の傷も蓄積される。いくつもの傷痕や、まだふさがりきっていない傷をあらためて眺めては、とりあえずため息をついてみたりするが、実のところ、そのうち癒えるものだという経験もまた持ち合わせている。それもまた傷つきながら体得してきたものではあるが、それさえ中年というふてぶてしさに見えて情けなく思う。バレンタインデーなどという「告白の日」のばかばかしさにあきれながらも、その甘さに酔いたいときもある。また傷を増やすとわかっていても、いまだ愛がなにものにもかえがたい力を持つことを信じるのも中年が手放すことのできないロマンだろう。『冬濤』(1976)所収。(土肥あき子)


February 1322012

 佐保姫のときどき白き平手打

                           嵯峨根鈴子

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。いつもおだやかで上品に振る舞っている佐保姫が、何にそんなに怒ったのか、ときに突然平手打ちをくわせるというのだから、びっくりしてしまう。これはつまり、おだやかなはずの春という季節が、ときどき思いがけない悪天候に見舞われるということだ。「白き平手打」というのだから雪、それも激しい雪を暗示しているのだろう。今年の佐保姫はまだ登場したばかりだが、ご乱心にもほどがあると言いたいくらいに、最初から平手打ちの連続である。このぶんでは満開の桜にも雪をもたらしかねない勢いだ。十年か二十年に一度くらいは桜に雪の現象は起きるけれど、佐保姫さま、今年はこのあたりでお怒りを鎮めていただいて、どうかおだやかで温暖な春の日々をお恵みくださいますように。『ファウルボール』(2011)所収。(清水哲男)




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